今後、社会の競争の中で生きるのが大変になるのは、「何者でもない人」です。自分の中にある画一化されていない能力に、自分自身で価値を付けることが重要で、そこでは個人の社会的な訴求力が求められます。ロボットやAIのもたらす「システム」のほうが精度の高い作業や思考ができるという前提のもとで、これらのテクノロジーでは代替がきかない人材を目指すことが大事です。もちろん、そこそこの生き方ができればよく、自分から主体的に何かを考えたり、決めたりしたくない人もいるでしょう。そういった人を支援し、生活の糧を生み出す方向にテクノロジーは向かうべきだと僕は思っています。
そうした個人が現状の一律に固定された価値観から離脱し、場所と組織とライフスタイルから自由になるような新しい価値観さえ受け入れられれば、今の日本の置かれている現状、生産人口の減少と高齢社会の到来は、必ずしも悲観する必要はないのです。高齢になると新しい仕事を覚えにくくなることを不安視する向きもありますが、学習のためのテクノロジーの進歩は、それを補ってあまりあるでしょう。たとえばマイクロソフトのホロレンズのようなARグラスを使えば、教師役がいなくても仮想世界で実技を交えた高度な修練を受けられます。これから仕事の習得はこういった技術の普及によってどんどん楽になっていくはずです。面倒な仕事や体力勝負の仕事を機械が代替する時代になれば、高齢者が活躍できる場面もたくさん出てくるはずです。
人間が苦手とする作業を補助するためのIoTデバイスは、これからも増え続けます。今後さらに技術革新が進むことで、未来の労働は確実に楽になるでしょう。
高齢者には人生経験があります。あとは新しい価値を受け入れる柔軟性とやる気さえあれば、健康を維持するだけで有用な人材として社会に貢献できるのです。ただし、健康にだけは注意しましょう。生物的・肉体的な意味においての「人間」はとても複雑で、人間の肉体や器官をすべて機械に置き換えるのは非常に難しいのです。テクノロジーが進歩しても、人間の健康問題の最終的な解決は、まだしばらく先のことになるでしょう。