京都市で最古級の町家解体が決まるなど、文化財指定ではないが古い全国の建築物がいま、様々な形で寿命を終えようとしている。そのなかには、味わい深い建物として地域の文化と生活を支えてきた古い駅舎保存の問題も含まれている。ライターの小川裕夫氏が、博物館動物園駅や新八日市駅の現状などの例から、駅舎保存の現実についてレポートする。
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東京の都市改造が、急ピッチで進んでいる。
1964東京五輪でメインスタジアムとして使用された国立競技場は、2020東京五輪のメインスタジアムとしても使用される。そのため、現在は新たに建て替えられている。
長らく都民の台所として親しまれてきた築地市場は、老朽化を理由に閉場。その役割を豊洲市場に譲った。
中高生のコンクール全国大会会場として長く利用されていたことから“吹奏楽の甲子園”とも称された普門館は、2011年の東日本大震災を機に天井が崩落する危険性が判明して使用中止。そのまま解体されることになった。理由は異なるものの、東京のシンボルともいえる建築物が次々と消えている。
同じ建築物である駅舎も他人事ではない。
都内最古の木造駅舎として知られる原宿駅にも建て替え計画が浮上。同じく、都内で2番目に古い国立駅舎も中央線の高架化工事で解体が検討された。
原宿駅舎の帰趨は決まっていないが、国立駅舎は文化財指定されて駅前広場に移築保存されることが決まった。駅舎として再び利用されることはないものの、三角屋根の駅舎は国立市民の原風景ともいえる存在だけに、行政も保存活動を全面的にバックアップしている。
駅舎は、あくまでも交通施設として使命を課せられている。それを果たせない駅舎は、無用の長物と断じられても仕方がない。
それだけに、役目を終えた後も行政や市民によって生きながらえている駅舎は幸せといえるかもしれない。
役割を終えた後も、ひっそりと佇む駅舎が上野にもある。京成電鉄の博物館動物園駅が、それだ。
博物館動物園駅は、その名の通り、現在もシャンシャンフィーバーに沸く上野動物園や東京国立博物館の最寄駅として1933(昭和8)年に上野公園の地下に開設された。