「がんは二人に一人がかかる、平凡でありふれた病気です。ほとんど避けられないのだから、落ち込むのではなく、実際に患った時にどう病気と向き合い、自分の人生をどう豊かに変えるかを考えたほうがいい。僕自身、がんを経験したことで、新しい自分を知ることができたんです」
こう語るのは、北島三郎『まつり』などで知られる作詩家で作家のなかにし礼氏。二度のがんから生還したなかにし氏は、この病気との付き合い方を最もよく知るひとりである。なかにし氏は、二度の闘病を経て到達した境地を『がんに生きる』(小学館刊)に綴った。
最初の発覚は二〇一二年。声が引っ掛かると感じて受診すると、ステージIIIの食道がんと診断された。
心臓に持病があり、健康管理に人一倍気を遣っていたなかにし氏にとって、まさに青天の霹靂だった。
「すでに七十歳を過ぎていたとはいえ、“何で僕が”と驚きました。いかに順風満帆な人生でも、がんになった瞬間に一変して嵐が訪れます。そこから新しい人生がスタートするんです」(なかにし氏、以下「」内同)
医師は「すぐ切らなければならない状態」と手術を勧めたが、あまりにビジネスライクなやりとりに違和感を抱き、切らない治療法を選んだ。選択したのは妻と調べて見つけた国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)での陽子線治療だった。治療の末、がんは消え、寛解した。
だが、それから二年半後、食道近くのリンパ節にがんが再発。今度は陽子線治療ができない場所だった。もし、がん細胞が隣接する膜壁を突き破る「穿破(せんぱ)」が生じたら、多臓器不全になって、もって五日とも告げられた。この時に医師からは「一日一日を大切に生きてください」と言われた。