『ドキュメンタル』に最多4度の出演しているフジモン(FUJIWARA)は、勝負以上にそれを意識していると思う。松本が「フジモンは他の芸人の良いところを引き出す」と語るように、振ったり、つっこんだりと指揮者のような役割を果たす。
逆にゆりやんは、日野皓正に殴られた中学生ドラマーといったところ。ずっとソロプレイ、もしくは友近とのデュエット。また、その多くが過去に見たことがある笑い。
『ドキュメンタル』の魅力は、何気ない会話から“笑い”という波が発生してく様子が見られるところ。紋切り型じゃなくて即興性がポイントなのに……。シーズン6はグイグイと持ちネタで押していくゆりやんに時間を取られ、やりとりそのものが少なかった。
収録後のインタビューで「私は友近さんに育ててもらっている。友近さんとよく遊んでもらっていることを今回はやった」とゆりやん。勝つためには自分の攻撃ターンを長くしなければならない。ま、ゆりやんが勝負に徹したといえばそれまでだが……。
ここまで書いてきたのは個人の意見だが、客観的に数値を見てもシーズン6は笑いが少なかった。6時間のゲームを通して、1回も笑わなかった芸人が3人も。ゆりやんを筆頭に黒沢(森三中)、近藤(ハリセンボン)。全員が女性芸人だから興味深い。
耐えてるとはいえ、目の前で披露される芸で笑っていない。それをモニタ越しの視聴者が笑うことは困難だ。
今作を見て、『ドキュメンタル』という舞台で男性芸人と女性芸人がガチでやり合うには、まだ機が熟していないのかもしれないという疑問がわき上がった。ゆりやんが次々と繰り出す憑依芸に対して、厳しくツッコんだら負けなのか? という男性芸人の弱気も見えた。
もし、ゆりやんが男性芸人であれば、持ち時間の多さに誰かが「お前、時間長いねん!」と頭を叩いただろう。相手のターンを終わらせるために、時には力技も必要だ。しかし、男性芸人は女性芸人にそれをしなかった。吉本新喜劇では、たとえマドンナ役であっても女性に激しくツッコむことがあるのに。シーズン6で場をリードし続けたゆりやんは、結果として、新喜劇のマドンナよりも丁重に扱われ続けた。
贅沢な望みかもしれないが、ゆりやんが憑依芸を友近以外ともグルーブさせてくれたら良かったのに。そもそも、ゆりやんに対応できなかった男性芸人も悪いのか。こーなると、ゆりやんが良くなかったと書いてきたのが間違っている気もする。
逃げの結論で申し訳ないが、要するにシーズン6はいまいちスイングしていなかったのだ。