それなら明治より前の天皇はどうだったのか。古くは万葉集の第一首、雄略天皇御製(ぎょせい)の長歌(ちょうか)では、初菜摘(はつなつ)みの乙女にこう呼びかける。
「家聞かな 名告(なの)らさね(君の家はどこなの、聞きたいな、名前を教えてよ)」「我こそは告(の)らめ 家をも名をも(僕こそ言おうか、家も名前も)」
これは恋愛、というよりナンパに近い。そのまま交際から結婚へと進んだのだろうか。時代は移り江戸期には見合い結婚が一般的になり、明治から戦後まで続いた。
結婚は恋愛結婚であるべきだ、見合い結婚は、家柄・財産目当ての打算結婚だ、と強く主張したのは、明治大正期の英文学者厨川白村(くりやがわはくそん)である。その『近代の恋愛観』は大ベストセラーになり、戦後も十年ほどは読み継がれた。この主張を「恋愛至上主義」と言う。
昨今、女性誌などで、奔放に恋愛を楽しむ芸能人を指して「恋愛至上主義」と呼ぶことがあるが、完全な誤用である。厨川の恋愛観は、恋愛によって結婚し、その相手と生涯添い遂げる、というものだ。彼は言う。自分は「恋愛の自由」を称えたのであり「自由恋愛」を称えたのではない、と。