2018年5月16日、西城秀樹(享年63)が逝去。その4か月後、9月15日、樹木希林(享年75)がこの世を去った。奇しくも同じ年に亡くなった稀代のスターと名女優の人生は、約半世紀前に交錯し、それから長く深い、心温まる交流を続けてきた。そんなふたりの交友秘録を紹介しよう。
平成最後のクリスマスがやってくる。聖なる夜に大切な人のことを想う。そんな気持ちは、いつの時代も変わらない。1990年代後半の12月24日の夜のことだ。突然、西城秀樹の電話が鳴った。
「秀樹、大丈夫? クリスマスもひとりぼっちで過ごしてるんじゃないよね」
40才を過ぎて、まだ独り身だった秀樹のことを、ふと思い出して心配になった。電話をかけたのは樹木希林だった。
「大丈夫、大丈夫。友達の家族のクリスマスパーティーで楽しんでるから」
そう答えた秀樹を、樹木は叱ったという。
「よその家族のパーティーに交ぜてもらってる場合じゃないわよ。あんた、いつになったら結婚するのよ──」
この40年間、ふたりはいつも年の離れた姉と弟だった。
樹木と秀樹が出会ったのは、1974年放送開始のホームドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)でのことだ。当時「悠木千帆」を名乗っていた樹木は31才、秀樹はまだ19才だった。
音楽家としては著名だったものの、俳優未経験の小林亜星を主役に抜擢し、平均視聴率30%を超える国民的ヒットを記録。そのドラマの中で、樹木と秀樹は「祖母と孫」という関係を演じた。
30代で老婆を演じた樹木は髪だけでなく、まつげまでも脱色した上で老けメイク。常に指ぬき手袋をつけていたのも、若すぎる肌が露出することを嫌ってのことだった。
劇中、家族でちゃぶ台を囲むシーンでは、口からご飯粒を飛ばす樹木に「汚ねえなァ、ばあちゃん」と秀樹が文句を言うのがお決まり。昭和の頑固オヤジ・貫太郎(小林)が激怒する名物シーンでは、ふたりとも容赦なく投げ飛ばされ、建具が壊れることは日常茶飯事だった。
秀樹に至っては、力余って茶の間から庭まで投げ飛ばされて、なんと右腕を複雑骨折。1か月の休業を強いられたこともあった。
そんな人気ドラマの舞台裏で、出演者同士、家族のような濃密なつきあいが始まった。当時すでにスターの座を確立していた秀樹も、家族の中ではまだ“若造”だった。収録の合間、小林のほか出演者の左とん平、由利徹、伴淳三郎の男性陣が車座になり、19才の秀樹を手招きしては、「猥談」に花を咲かせ、真っ赤になって照れる秀樹を面白がった。それを見ていた樹木は一言。
「あらあら、はしたないねー」
だが、秀樹も後年、樹木との座談会でこんな逸話を明かしている。