2018年5月16日、西城秀樹が逝去。その4か月後、9月15日、樹木希林がこの世を去った。奇しくも同じ年に亡くなった稀代のスターと名女優は、1974年放送開始のホームドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)で共演していた。当時「悠木千帆」を名乗っていた樹木は31才、秀樹はまだ19才だった。
「秀樹さんは樹木さんのことを“希林さん”って呼んだり、たまに劇中そのままで“ばあちゃん”だったり。樹木さんの方は、いつも“秀樹”でしたが、機嫌がいいときは“秀樹ちゃん”と呼んでいましたね」
そう明かすのは、ふたりをよく知るテレビ局関係者だ。
「ドラマでの共演以来、電話で連絡を取り合って、ずっと親しくしていましたが、お互いに超多忙な時期でもあり、そう頻繁に会うというわけではありませんでした。1998年のCM撮影で再会してから、その仲が深まったように感じます。食事に行ったり、一緒に旅行に行ったり。樹木さんは秀樹さんを弟のようにかわいがり、40才過ぎて結婚していないことを、とにかく心配されていました」
祖母と孫を演じたふたりだが、年齢差は12才で、同じ未年の生まれ。樹木からすれば「年の離れた弟」という気持ちだったのだろう。
ふたりと交友があった芸能関係者はこう話す。
「希林さんは、とにかく芯が強い人で、どこか近寄りがたい孤高の人でした。言いたいことはオブラートに包まずにズバッと言う。だから、業界の中では、“気難しい人”という評判もありました。それでも、西城さんに関しては『とにかくまっすぐで、キラキラして透き通った目が大好きなの』と公言していました」
ふたりを知る人が口をそろえるのが、「スターなのに気取らない、肩肘を張らない、見栄を張らない。そんな自然体なところが、樹木さんと西城さんに共通していたから、惹かれあったのでしょう」ということだ。
この度、『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』(小学館刊)を上梓した秀樹の妻・美紀さんは、「秀樹さんは希林さんから強い影響を受けていました」と語る。
「私が長女を妊娠していた時、希林さんのご自宅にお招きしていただいたことがありました。クラシカルな中にモダンがあって、とても洗練されたご自宅でした。秀樹さんもインテリアや骨董に関心が強い人でした。特にバリアンティークが好きな秀樹さんは、希林さんととても感性が似ているなと思いました」
秀樹は過去に雑誌のインタビューで、樹木についてこう語っている。