大阪府大阪市生野区にある今里新地に、日本ボクシング連盟の終身会長であった山根明氏の妻の経営するクラブはある。
自身のテリトリーというべき場所で、キープしていたボトルをちびちびと飲みながら、山根氏の弁舌は熱を帯びた。
「この店は、働いている従業員のほとんどが日本人なんです。不法滞在しているような外国人がおらんのが良い。ここに来てくださっているお客さんや、街で出会った人に、写真をせがまれるし、『男の中の男です!』なんて励ましてくれる。そうした声に、どれだけ救われたかわかりません」
「激動の1年」(本人談)の師走を、山根氏は忙しく飛び回っていた。疑惑に対する釈明の活動──ではなく、お笑い番組である『あらびき団』(TBS系)の特番への出演や、ドッキリ番組でデヴィ夫人らと共演する収録などため、東京と大阪を何往復もしていたのだ。
「わしがテレビに出れば、不思議なほど視聴率が上がるみたいやね。デヴィ夫人は素敵な方で、写真をお願いしました。しかし、何が面白いのかわからん芸人が出てきて、わしが激怒した番組もあるんや。それをまた面白がられて……完全な騙し討ちやった。もう2度と、出ぇひんわ!」
口ではそう言っても、ビートたけしの番組に出演すれば初体験の年齢を告白し、バラエティ番組では50歳近く歳の離れた若手芸人にいじられ、10月に79歳になった山根氏はまんざらでもない様子である。
メディアもメディアで、数か月前にはあれほど疑惑を追及していたのに、今や強面ながらたどたどしい口調で怒鳴り散らす山根氏を“キワモノ”のように面白がって高視聴率を狙うのだから違和感は拭えない。
スポーツ界でスキャンダルが続出したことで、ひとつひとつの“消化”が極めて速くなっているのだろうか。
山根氏は1939年に大阪府堺市に生まれ、終戦後、5歳で母の母国である韓国に渡った。10歳で日本に密入国し、27歳まで国籍がなかったと振り返る。
若かりし日に国籍すらなかった人物が、どのような経緯で日本のアマチュアボクシングのトップにまで成り上がることができたのか興味は尽きないが、波瀾万丈の人生を送ってきたことだけは確かだろう(そのあたりの経緯は、来春に自伝を出版予定らしい)。