長く、大阪桐蔭を取材しているスポーツジャーナリストの古内義明氏が「平成最後」の甲子園を春夏連覇した西谷浩一監督に訊く、短期集中連載の第2回(全3回)。大学や社会人野球というアマチュア球界にも幅広い人材を輩出し続ける、その極意に迫った。
──選手の進路について、どの学年から意識させるのでしょうか。
西谷監督:毎年、2年生のお正月休み明けに、1度目の進路希望調査をします。子どもたちの進路についてはいきなり否定せず、その都度アドバイスを送るようにしています。春の選抜大会後ぐらいから、親御さんと本人の3者面談を重ねていき、方針を決めます。まずは本人の希望を聞き、その中でお声がけしてくださる大学があれば、薦めていく感じです。今年はプロ4名、社会人2名、その他は東京六大学など、大学で野球を続けます。
──大阪桐蔭から大学野球や社会人野球に進む上で、どのようなビジョンをお持ちですか。
西谷監督:野球の技術はもちろんですが、最後は人間性が重要になってくるので、そこを大切にしています。子供たちには、「他人から物事を頼まれるような人間になろう」と伝えています。例えば、来客の方がグラウンドにいらした時、案内するだけでも、ちゃんと気配りもして、配慮できる人間になって欲しいと思います。「困った時に、人から頼りにされる人間になろう」と、話しています。
──進学させる上で、大学や社会人のチームをどのように研究しますか?
西谷監督:一番重要なのはポジションです。校風や監督との相性ももちろん考えますが、ポジションは大事です。例えば、前年に良い捕手を獲得したチームに送り出すよりは、捕手を獲得したいと思っているチームがどこかをまず考えます。選手の希望も聞きながら、信頼できるチームで手薄なポジションであれば、そちらを薦めることはあります。私なりに、ガイドブックや野球雑誌を見て研究しながら、様々な人と会うことで情報を集めることはします。
──情報収集をする上でも、パーティーなどの野球関係者に会う機会は貴重ですか?
西谷監督:時間があれば、パーティーにも顔を出すようにしています。またパーティーのみならず、大阪桐蔭から進んだ選手がいるチームの監督にはしっかり連絡をするようにしています。その会話の中で、「来年、どのようなポジションの選手が欲しいですか?」とは、必ず聞くようにしています。補強ポイントにマッチした選手が行くことで、1年目のスタートは良くなるはずです。その後は、本人の努力次第です。
──西谷監督が生まれた昭和44年の同期会も、大切な情報収集の場でしょうか。
西谷監督:同期では、東海大相模の門馬敬治監督がいて、2000年春の選抜で優勝しました。その頃の私は大阪大会でまだもがいている頃で、同い年である監督が全国優勝を達成して、「凄いな」と思いました。
44年会は、社会人でプレーした関西地区の同期が集まり出したのがきっかけで、社会人でプレーしていない私にも声がかかり、参加しました。当時は選手でしたが、年齢を重ねていくことで、今では指導者も出てきました。土井善和(日本生命コーチ)や田村秀生(日本新薬コーチ)が現役引退した際に、関東地区でも44年会が始まり、50~60人規模で行われています。始めた頃は、「若手の会」と思っていましたが、今では50歳を超え、少年たちへの野球教室など、いつの日か、ルールの範囲でできるようになればいいと話し合っています。
現在は12月に関西で、1月には関東で開催していますが、いつか合同で出来ればいいという話をしながら、たくさんの同級生が参加する程の大きな会になっています。会の恒例で、その年に活躍した人にネクタイがプレゼントされます。甲子園で優勝したので、皆さんから、記念のネクタイを頂くことが出来ました。