残された時間をどう過ごすか。周囲の人々との何気ないやりとりがあなたへの評価を左右するかもしれない。コラムニストの石原壮一郎氏が説く。
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平成最後の新年が幕を開けました。4月30日までは、さらに勢いよく「平成最後の」という修飾語が活躍することでしょう。あちこちで平成を振り返る企画を目にしますが、微妙な立ち位置を余儀なくされているのが「昭和64年」です。「昭和64年」は1989年1月1日から1月7日までのわずか7日間で、1月8日からは「平成元年」になりました。
これから4月末までは、いろんな場面で「平成ってこうだったよね」といった話題になりがち。そんな時は「そういえば昭和の最後の年って短かったよね」と、強引に昭和64年の話題に持っていきましょう。これから紹介する知識を披露すれば、「目立たない存在にもきちんと目を向けられる気配りの人」「細部をおろそかにしない仕事が丁寧そうな人」という印象を与えられるに違いありません。
まずは「昭和64年」に生まれた有名人から。国内で7日間のあいだに生を受けたのは、2万数千人と推定されています。もっとも有名なのは、体操の内村航平選手(1月3日)。名前が付けられたときはすでに時代は平成になっていて、「平成という世の中をまっすぐわたっていけるように」という思いを込めて「航平」と名付けられたとか。
元AKB48メンバーの梅田彩佳(1月3日)、ボクシング亀田三兄弟の次男・亀田大毅(1月6日)、阪神タイガーズなどに在籍していた元プロ野球選手の辻本賢人(1月6日)も昭和64年生まれです。
昭和天皇の容態が深刻となったことを受けて、世の中は昭和63年の年末から自粛ムードが続いていました。とはいえ、ずっとしんみりしていたわけではありません。テレビでは1月1日に恒例の『新春かくし芸大会』(フジテレビ)が放送され、堺正章が「大工演奏会」を披露するなど大いに盛り上がります。
翌2日には「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(日本テレビ)の第1回が放送されました。アナーキーな番組にふさわしいアナーキーなタイミングでのスタートと言えるでしょう。4日に放送された美空ひばり最後のワンマンショー『春一番!熱唱美空ひばり』(TBS)も、大きな話題を呼びます。昭和を象徴する存在であった彼女は、放送から半年後の6月に世を去りました。
スポーツでは、1月3日に行なわれたアメリカンフットボールのライスボウルで、この年の学生代表で昨今何かと話題の日本大学フェニックスが、社会人代表のレナウンローバーズを47‐7の大差で破って優勝。全国高等学校ラグビーフットボール大会は、1月7日に決勝が行なわれる予定でしたが、昭和天皇崩御に伴なって決勝戦が中止に。茗渓学園高校(茨城県)と大阪工大高校(大阪府)の両校が優勝となりました。