韓国第二の都市・釜山。東京から航空路で約2時間のこの街は、関釜フェリーや「釜山港へ帰れ」などの歌謡曲でも知られる、日本人にとってなじみが深い隣国の大都市である。しかしこの釜山は、盧武鉉と文在寅という、現代韓国の政治史を語る上では欠かすことの出来ない2人の生と死が同居する都市である。評論家の古谷経衡氏が、釜山の“徴用工博物館”を歩いた。
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12月──。異様な暖冬に見舞われた列島とは真逆で、釜山に降り立った私は半島の厳しい冬をもう何度か、かみしめている。
釜山広域圏は、韓国を代表する重工業・造船地帯であるが、ここから金泳三・盧武鉉・文在寅(現)という3人の大統領を輩出している。とりわけ韓国現代史で重要な盧武鉉は釜山を中心に大学生らと共に民主化運動を主導し、人権弁護士として活躍した。大統領退任後、釜山郊外の烽下(ボンハ)村に蟄居していたところ、一族の贈収賄疑惑で保守系の李明博からの「政治報復」が開始された。
そして2009年5月、投身自殺へと一直線に転落する。盧が投身自殺をした断崖の真下に現在、盧を追悼する壮麗な墓所が建設されている。実はこの墓所の設営の陣頭指揮を執ったのが、現大統領文在寅である。
盧武鉉と文在寅は、日本では一般的に両者ともリベラル・左派で、文在寅は盧武鉉時代(参与政府と呼ぶ)の青瓦台の秘書室長、と紹介される。しかし両者の関係はそんな書類上のものではない。
1982年、韓国が民主化運動の大波にもまれる中、盧と文在寅は釜山市で共同法律事務所を経営し、当時「時局問題」といわれた民主化運動弾圧事件の弁護を引き受ける釜山きっての活動的弁護士であった。つまり盧と文在寅は同じ釜の飯を食った弁護士事務所の戦友である。