『愛の亡霊』『戦場のメリークリスマス』『御法度』などの映画を手掛けた大島渚監督が1996年に脳出血で倒れ、2013年に亡くなるまで、在宅介護11年を含む17年間の介護をした、妻で女優の小山明子さん。自由で前衛的な映画の作風や「バカヤロー!!」とテレビの討論番組で激昂する姿から、どんなに大変な介護生活だっただろうと伺うと、意外にも晴ればれとした笑顔が返ってきた。
◆立派な夫が不機嫌に言った。「死んだ方がましだ!」
「大島は家ではとても保守的でした(笑い)。常識的で穏やかで、子煩悩な父親でしたよ」と小山さん。多くの人が抱いているであろう無鉄砲な人物像をさらりと訂正した。
「大卒ではないことがコンプレックスだった私に、『きみは撮影所という大学を出た』と励まし、私の執筆した記事や取材記事などを、大島自身が切り抜いて、ノートに張っていました。50冊くらいにもなったかな。そんな愛情表現もしてくれる人でした」(小山さん・以下同)
そんな大島監督が1996年、脳出血に倒れた。
「幸い重い後遺症は残らなかったのですが、驚いたのはそのときの大島の態度。リハビリを懸命に行う中で、たくさんの人の小さな手助けにも必ず『ありがとう』と。私にまで感謝するので、『家族なんだからありがとうはいらないのよ』と言ってもやめません。
すると周囲が『大島さんを何とかしてあげよう』という空気になるのです。3年後には映画『御法度』を撮るまでに回復しました。大島の人間力を感じましたね」
でも本当の苦境はその後に待っていた。2001年、大島監督が十二指腸潰瘍せん孔で、生死の境をさまようことに。
「お葬式の相談をしなければというところまでいきました。奇跡的に命は取り留めたものの、認知機能もかなり落ちて、大きく様相が変わりました。
言葉が出ないせいか、イライラを募らせるようになり、おむつをつけることになったとき『バカにしやがって!』『死んだ方がましだ!』と叫んだことは、忘れられない。
ずっと第一線で活躍し、夢を叶え、優しい心を持った人が、こんな言葉を言い放ったのです。どんなに苦しいだろうと思うと、この人のプライドを守るためにどうしたらいいか、そればかり考えました」
◆今は弱ったパパを全力で守ろう!!
男性が要介護になると、それまでの自分とのギャップがかなり大きいに違いない。小山さんがそこに気づいたのは、ある本との出合いだった。
「アルフォンス・デーケン神父の『よく生き よく笑い よき死と出会う』という本。過去の業績や肩書への執着を“手放す心”の大切さが書かれていて、ハッとしたのです。
以前に脳出血で倒れたときは、映画監督・大島渚の妻、女優の小山明子のままだった。『なぜ私がこんな不幸に?』『こんなはずじゃない』と。
でも、生死をさまよう大島を前に『私はひとりの弱った夫の妻。夫が生きていてくれる今を大切に、全力で守ろう』と決めたのです」