食べ物は人間活動のエネルギーだが、社会や文化がまとう空気にも左右される。一方で脈絡のない仕掛けでは決してブームは起きないのだという。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が2019年のトレンドについて指摘する。
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各業界で「次のトレンド予測」企画が飛び交う。もちろん「食」ジャンルもだ。予測の根拠には「前年から続く傾向」「社会的な要求」「需給の事情」などさまざまな背景がある。
昨年末の予想で、2019年を「辺境と懐古の1年」だと位置づけた。中華やイタリアン、東南アジアなど海外の辺境食の身近な形での提案が増え、とんかつや焼肉など誰もが知る懐かしい料理も新スタイルが目につくようになる1年になると書いたが、少し補足しておきたい。
「食の傾向」は地続きだ。基本的には動植物を食材とする以上、食の傾向は突如沸き上がるものではない。連綿と続く流れと蓄積の上で、情報量や人々の興味関心が臨界点を超えるとブームやトレンドになる。脈絡のない仕掛けだけではブームは起き得ない(翻って言えば、流れをうまくすくい取れば、ある程度のブームの創出は可能ということにもなる)。
「辺境」「懐古」といったキーワードはそうした蓄積の上にあるものだ。明治時代に日本に入ってきた「西洋料理」「支那料理」と呼ばれた外国の食は、主に第二次大戦後、堂々と日本風にカスタマイズされていった。その象徴が「大衆洋食」「大衆中華」と呼ばれるカテゴリーだ。現代の飲食店にある日常的なメニューだけでも、例を挙げればきりがない。ハンバーグ、ラーメン、カレー、ナポリタン……。この4つのメニューだけでも源流となる国はすべて違う。
一方、バブル以降になると現地に赴いてその食文化に触れた日本人も増えてくる。それは「海外」などと呼ばれる曖昧などこかではなく、パリや北京と言った都市部とも限らない。巨大な食文化圏の隅のほう、地方の町や村で出会った料理に惹かれ、国内に持ち帰る人が増えてきた。
「辺境」の食文化は生活の中にある。異文化圏の生活に密着した食文化が、すぐさま異国の日本で受け入れられるとは限らない。人が感じる「おいしさ」をひもとくと、そのひとつに「文化的おいしさ」があるとされる。長くその地域で暮らすことによって育まれ、土着の食に対して磨かれる味覚だ。日本で言えば味噌や納豆など、欧米人が首をかしげるような食べ物への味覚がそれにあたる。
ではなぜ日本人は初めて訪れる辺境の味を「おいしい」と感じたのか。それは「大衆洋食」「大衆中華」という「文化的おいしさ」の足がかりがあったからではないか。日本風にカスタマイズされているとはいえ、そこには源流の香りは残されている。
さて「前年から続く食の傾向」だけでずいぶんと紙幅(紙ではないが)を取ってしまった。トレンド予測の根拠となるふたつめの「社会的な要求」は環境問題からSNSで表現されるような「気分」までさまざまな要素を内包する。例えば環境問題に近いところで言えば、フェアトレードやアニマルウェルフェア(動物福祉)といった「エシカル(倫理的)消費」が前提となるはずだ。
「倫理的」と聞くと「SNSで表現されるような気分」とは遠く見えるかもしれないが、結局のところ景気や消費行動は生活者の気分に左右される部分も大きい。