市原さんは周囲に、「月に数度、30分でいいから、マイクの前に立って収録をすることが、今の目標なの」と笑顔で語っていた。かつて『まんが日本昔ばなし』を朗読していた頃と同じように、台本を何度も何度も、繰り返して声に出して読んでいた。
12月25日、最後の収録。同月上旬に急性虫垂炎で緊急入院していた市原さんは病院のベッドの上から私たちに、磨き上げてきた「声」を届けた。
12月30日には、一時帰宅を果たした。大晦日、元日、2日と自宅で過ごす。ところが、3日に容体が急変し、5日に再び病院に戻った。
「市原さんは病室に台本を持ち込んでいたんです。また病院で収録するかもしれないからと。最期まで、“声を届けたい”という気持ちがあって、発声練習もしていたそうです。亡くなる3日前くらいから意識が混濁して、徐々に反応もなくなり、声も出なくなりました。最期は親族や友人たちに囲まれながら、息を引き取りました」(前出・友人)
※女性セブン2019年1月31日号