1月12日、心不全で亡くなった女優の市原悦子さん(享年82)は、最期まで「声」にこだわり、女優魂を燃やし続けていた──。
2年ほど前、「自己免疫性脊髄炎」という難病に侵された市原さんは、手足が動きづらくなり、麻痺や感覚障害に苦しんだ。それを境に、映画やドラマなどの映像の世界から姿を消した。
活動休止期間は1年4か月に及んだが、懸命なリハビリの末、念願の復帰を果たす。昨年3月からNHK番組『おやすみ日本 眠いいね!』内のコーナー『日本眠いい昔ばなし』を担当した。市原さんがこだわり続けてきた「声」で出演した。日本人に故郷を思い出させる、あの声のままだった。録音スタッフが市原さんの自宅を訪れ、そこで収録をしていた。
しかし、その頃、市原さんを大きな喪失感が襲った。“同志”だった樹木希林さん(享年75)の訃報だった。
2人が出会ったのは、樹木さんの最後の主演作となった2015年公開の映画『あん』。日本を代表するベテラン女優の2人だが、意外にもそれが初共演だった。
「監督が、希林さんの親友役のキャスティングで悩んでいると、希林さんが“市原さんがいい”とリクエストしたそうです。以来、2人は親交を深めてきました」(芸能関係者)
当時、樹木さんは全身がんを患いながら、仕事を続けていた。生来の明るさも、ユーモアも失わない。病院にかかりきりになるのは嫌だと自宅療養を選び、がんと向き合っていた。
「そんな希林さんの生きざまを見ていた市原さんは、自らが病魔に襲われても、“自分もできる限り仕事を続けたい。闘病だけの生活ではなく、自分らしく生きたい”という意志を強く持ち続けたそうです。それだけに希林さんが亡くなった時は大きなショックを受けていました」(市原さんの友人)
それでも、市原さんが自宅マンション1階にあるフリースペースで器具を使い、腕力や足腰のトレーニングに励んでいる姿を、近隣住民はよく見かけていた。
「希林さんが亡くなった頃、市原さんは“私はもう病院には行かないわ。自分でリハビリを続けます”と、完全な自宅療養を選びました。リハビリの先生を自宅まで迎えて、懸命に取り組んでいました」(別の友人)
本誌・女性セブンは樹木さんが亡くなったおよそ1か月後、番組収録のために市原さんの自宅を訪れたスタッフを目撃していた。その2か月後、市原さんは腹部の痛みを訴えて病院を受診し、急性虫垂炎と診断され、緊急入院した。12月30日に一時帰宅を果たしたものの、1月3日に急変し5日に再び入院。12日に心不全で亡くなった。