大きな松が描かれた屏風の前に、紋付袴に身を包んだ父と息子が並んで腰を下ろす。自分たちが進む“茨の道”を見据えるかのように、しっかりと前を向いていた。
1月14日、市川海老蔵(41才)が團十郎の名跡を継ぎ十三代目となり、勸玄くん(5才)が八代目市川新之助を襲名することが会見で発表された。襲名披露公演は来年5月から始まる。
「團十郎の名跡復活は7年ぶりで、正式な名前は“團十郎白猿”になります。先代や祖父には及ばないという意味で、俳名として“白猿”をつけました。このような形で発表するのは、團十郎十三代の歴史で初めてです」(歌舞伎関係者)
團十郎は、数ある歌舞伎の家系の中でも、その中心にある市川宗家の大名跡である。海老蔵自身もかつて雑誌のインタビューで、
《團十郎家というのは歌舞伎界のなかでいちばん中心の家なので、それがどういう方向性を示していくかというのは非常に重要なことです》
と語っていた。その重責を担う準備が整ったということなのだろう。
「海老蔵さんは、相当な覚悟を持って臨んでいます。ただ、團十郎の名を継ぐということは、名家の大名跡を継ぐだけではないのです。彼はこれから、“團十郎の悲劇”と正面から闘っていかなくてはなりません」(ベテラン演劇記者)
「團十郎の悲劇」とは、歌舞伎界でまことしやかに囁かれる、歴代12人の團十郎を襲った“宿命”のこと。
「初代團十郎は45才の時に、上演中の舞台の上で共演する役者によって刺殺されました。その跡を急遽、継いだ二代目は千両役者と呼ばれるまでになりましたが、妾と弟子が駆け落ちするという醜聞に巻き込まれました。
三代目と六代目は22才の若さで病死し、歌舞伎十八番を制定した七代目は人気絶頂期に幕府に逆らい、江戸を追放されました。八代目は32才の若さで謎の自殺を遂げ、九代目は借金に苦しみました」(前出・ベテラン演劇記者)
海老蔵が尊敬する十一代目、つまり海老蔵の祖父も、襲名からわずか3年で、がんに侵され56才の若さで亡くなっている。先代の十二代目も66才で他界しており、70才を過ぎても存命だったのは、二代目だけである。
「こうした不幸の系図を、海老蔵さんは断ち切ろうと奮闘しています。大好きだったお酒を控えて、ジムに通って体を鍛え上げている。食事はもちろん、体調管理には充分すぎるほど気を使っています」(前出・歌舞伎関係者)
《長生きをしなければならない》というのは、海老蔵自身がかつて雑誌のインタビューに答えた言葉だ。