平成6年(1994年)10月8日。平成の名勝負として語り継がれる、優勝がかかった巨人vs中日戦が行なわれた。同試合について、当時、中日の監督だった高木守道氏が振り返った。
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巨人の長嶋茂雄監督が「国民的行事」と称した「10・8決戦」。私は中日の監督として巨人と対戦しました。このシーズン、前半は巨人に大きく引き離されましたが、後半に中日が猛追。最終戦を残して同率首位となり、勝ったほうが優勝という試合になりました。
私は3年契約の最終年でした。7月の時点で解任報道が出ていたし、次の監督は星野仙一ということも決まっていた。だから最後までしっかりやろうという気持ちは強かったですね。コーチ陣にも「最後まで頑張ろう」と話したし、普段は願掛けなどしたこともないのに、この時は「有終の美を飾らせてほしい。見守っていてほしい」と何度も仏壇の親父やおふくろに手を合わせました。
戦前予想は中日有利でした。というのは、巨人キラーの今中慎二が先発することになっていたからです。我々中日ベンチは今中にすべてを賭けて、マウンドに送り出しました。
ところが巨人はその今中を徹底的に研究していました(今中は4回5失点で降板)。あとで聞いた話ですが、この試合までに行なわれた巨人のミーティングの回数はすごかったそうです。それに試合が始まると、槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の先発三本柱をリレーさせるオールスターゲームのような継投をしてきました。ここ一番に賭ける思いの強さを感じました。