最近の日本と韓国の外交関係は、最悪といってもよいだろう。1910年の韓国併合から始まる大日本帝国統治時代の実態は、本当に韓国側が主張するようなものだったのだろうか? 評論家の呉智英氏が、日本の韓国統治の実態について考察した。
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韓国の暴走が止まらない。半世紀前に決着がついているはずの徴用工問題を再燃させるわ、自衛隊機に照準用レーダーを照射するわ、挑撥という段階を超えて宣戦布告直前という感じだ。これも韓国に「反日」という絶対的正義が深く浸透しているからである。
その反日の論拠の一つ「慰安婦強制連行説」は、二〇一四年、これを積極的に報道してきた朝日新聞が虚報であったと認め、検証・謝罪記事を大きく掲載した。しかし、まだこれに類する虚報がマスコミに出回っている。
一月十一日付朝日新聞「社説余滴」は「引き揚げの苦悩は消えぬ」と題して、九十七歳の老婦人の釜山港からの引き揚げ話を紹介している。そこに、国民学校(小学校)の「新入生の胸に創氏改名した日本名の名札をつけ、朝鮮語を禁じ」とある。確かに創氏改名はあった。しかし、この記事全体に流れるような強制性の甚しいものだったのだろうか。我々は何となくそう思っている。朝鮮人が朝鮮名のままだと警察に逮捕され刑務所にぶち込まれるというように。だが、実態はかなり違う。
この記事のちょうど一年前、昨年一月二十一日付産経新聞連載「海峡を越えて」第二回では「創氏改名ほど誤解が多い政策もないだろう」としている。朝鮮名から日本名に変えた人は約八割、残りは「金や朴など従来の『姓』をそのまま『氏』として使うことができた」。実例として、検事・閔丙晟(びんへいせい)、陸軍中将・洪思翊(こうしよく)、女性舞踏家・崔承喜(さいしょうき)を挙げている。三人のうち最も有名なのは美貌と芸術性で日本人も朝鮮人も魅了した崔承喜で、デパートなどの広告にもしばしば起用された。