アジアカップを2大会ぶりに制するためには、MF原口元気の攻守にわたる献身的な動きが鍵になるのは論を俟たないところだ。前線から積極的にプレスをかけながら球際で勝ち、決定力も見せるその底知れない運動量は驚異的ですらあるが、原口のプレースタイルはかねてからそうであったわけではない。Jリーグ発足時からレッズをウォッチするライターの麻野篤氏が指摘する。
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後半アディショナルタイム、ドリブルでペナルティエリアに侵入した原口元気が左足を振り抜くと、ダメ押しの3点目がゴールネットを揺らした。眼前のスタンドに歩み寄り、歓喜の日本サポーターを煽るように両手を振り上げる。原口らしい闘志あふれるアクションだったが、その表情はどこか柔らかで、心の余裕のようなものさえ感じさせた。
浦和所属時代には、チーム内で数々のトラブルを引き起こし、“悪童”ともささやかれた原口元気は、そこにはもういなかった。
2009年に17歳で浦和レッズユースからトップチームに昇格した原口は、順調にキャリアを積んでいった。当時のフォルカー・フィンケ監督の若手育成路線もあって徐々に出場機会を増やしていくと、2011年にはJリーグで9得点を記録、ナビスコカップではニューヒーロー賞も受賞している。
この年、監督がゼリコ・ペトロビッチに交代。サイドでの1対1の仕掛けを好む指揮官と原口のドリブル志向が好相性を示したともいえるものだった。
ところが、シーズン最終盤に事件が起きる。リーグ戦終了直後の12月10日のトレーニング後に、ユース時代からのチームメイトである1つ下の岡本拓也(現・湘南ベルマーレ)に左肩関節脱臼というケガを負わせてしまったのだ。
〈岡本拓也の悪ふざけをきっかけに原口元気ともみ合いとなり、コーチが制止に入ったが、離れ際、倒れた岡本に対し原口が蹴り、左肩関節脱臼のケガをしました。クラブは事実を確認し、原口、岡本も十分に反省しておりますが、原口に対して譴責と本日より一週間の謹慎処分にいたしました。岡本に対しても厳重注意をいたしました〉(オフィシャルHPより)
チーム関係者やサポーターにも動揺が広がった。原口の好調ぶりとは裏腹に、この年のチームは序盤戦から低迷。シーズン途中に堀孝史監督への交代も経ながら、最終節になんとか残留が決まるという体たらくだったこともある。
加えて、最終節では優勝に王手のかかった柏レイソルに完敗。ホーム埼玉スタジアムのピッチ上でシャーレを掲げられるという屈辱も味わった。そんなタイミングでの下部組織出身の期待の若手同士が引き起こした、あまりにも幼稚な出来事だったのである。
原口本人も事の重大性を認識して、1週間後に自らの言葉で反省を表明している。そこには、岡本への謝罪やサポーター・チーム関係者に対して多くの反省の弁を述べるとともに、
「もっと謙虚な人間にならなければいけない」
「これまでは、どこか調子にのっている所があった」
といった心情の吐露もなされていた。
年が明けて2012年1月。一人の男がチームに加入した。槙野智章だ。槙野はすでに日本代表のキャリアも持ち、広島からドイツブンデスリーガの名門1.FCケルンを経ての移籍だった。その経験が見込まれたのか、槙野は浦和のスカウトから原口の教育係を頼まれたという。
槙野いわく「サッカー選手としては最高の選手」の一方で、「礼儀やあいさつなどはビックリするくらいできなかった」という原口を辛抱強く指導。原口の言動には、徐々に変化がみられていったという。