第3のビール「本麒麟」のヒットが話題となり、ビール類飲料(ビール、発泡酒、第3のビール)の総合シェアで昨年のキリンビールは“一人勝ち”を収めた。長期的な低迷から、どうやって巻き返しに成功したのか。改革を主導してきた同社の布施孝之・社長に訊いた。
──このインタビューシリーズでは「平成元年のあなたは何をしていたか」をまず質問します。30年前はどんな仕事を?
布施:私は1982年にキリンビールに入社しました。7年半ほど神戸支店に勤務して、平成元年(1989年)はちょうど東京の八王子支店に転勤した年です。
当時は「ビールといえばキリンラガー」の時代。入社時のキリンのシェアは約6割、神戸エリアでは7割ぐらいあったと思います。神戸ではビールを売ったという経験は少なくて、「キリンレモン」や子会社の小岩井乳業の乳製品の拡販ばかり考えていました。
移った八王子支店の主戦場は、当時活気のあった多摩ニュータウン。ここで私は初めて酒屋さんへの営業を担当します。1987年にアサヒの「スーパードライ」が登場したこともあって厳しい戦いでした。それから1990年に登場した『一番搾り』がわぁーっと売れて。その端境期に、どうすればお客様に喜んで頂けるのか、シェアを獲れるのかを必死に考えていた時代でした。