「無責任じゃないですか」。という記者の問いに、櫻井翔(37才)はきっぱりとこう返答した。
「およそ2年近くの期間をかけて、感謝の思いを伝えていく期間を設定した。これはわれわれの誠意です」
五輪イヤーとなる2020年いっぱいでの活動休止を発表した嵐。1月27日に開かれた会見では、残されたおよそ2年で、すべての関係者、そしてファンへ「感謝の思い」を伝えていくと語った。
熱狂的なファンではなくても、日頃、嵐の活躍をテレビなどで見かけている人なら、それは「無責任」とはかけ離れた決断だとわかるはずだ。
国民的アイドルとして、私たちに多くの感動と喜びを与えてくれた彼ら。その「誠意」を責任を持って受け止めるため、デビューから活動休止を発表したこれまでを振り返る。
◆5人のうち辞めたいやつが3人いるようなグループ
1999年9月15日、ハワイ・ホノルル。大野智(38才・当時18才)、櫻井(当時17才)、相葉雅紀(36才・当時16才)、二宮和也(35才・当時16才)、松本潤(35才・当時16才)の5人は、クルーザーに乗り込み、豪華なデビュー会見を行う。平均年齢16.6才という若さだった。
アイドルグループで類を見ない漢字一文字という珍しいグループ名の由来について、相葉はこの場でこう語っている。
「『嵐』の頭文字は、あいうえお順でも『あ』、ABC順でも『A』で、いちばん先頭になります。ぼくらも同じように、頂上に立つことを目指したいです」
嵐がデビューした当時はジャニーズJr.の黄金期で、『8時だJ』(テレビ朝日系、1998年)をはじめとするJr.の冠番組が溢れていた。その黄金世代から初のデビューを果たした彼らだが、初々しいその顔ぶれを見た時、報道陣やファンはもちろん、お茶の間の視聴者も騒然とした。コラムニストでテレビ解説者の木村隆志さんが振り返る。
「“あれ、タッキーは?”と、日本中が驚きました。同じジャニーズJr.のなかでも、滝沢秀明さん(36才)は別格の存在感で、Jr.からグループデビューするには滝沢さんありきだという雰囲気があったんです。今からすれば笑い話ですが、初めて嵐のメンバーを見た時、『本当にタッキーがいなくてやっていけるのかな?』と不安を感じたことを覚えていますよ」
当のメンバーたちも、戸惑いながら会見に臨んでいたという。
「もともとメンバーとして決まっていたのは松潤、ニノ、櫻井くんの3人。大野くんは『ちょっと手伝ってほしい』と頼まれて、訳もわからぬままレコーディングに参加し、相葉くんはデビュー会見3日前に事務所社長からパスポートを持っているかと聞かれ、ドタバタでハワイに向かったそうです」(芸能関係者)
大野はデビューのレコーディング時、櫻井と同様のラップパートの歌唱もしている。もしかしたら、そのまま大野がラップ担当となる可能性もあったと、後に櫻井が明かしている。
メンバーも担当パートも“急ごしらえ”な、まさに「嵐」のようなデビューだった。