すべての力を使い果たし、楽屋に戻ってきた立川志の輔(65)の目は、どこかうつろだった。2時間余の独演会をやり終えた達成感と激しくも心地よい疲労感。楽屋見舞いに訪れる人々と言葉を交わしながらも、気持ちは高座から現実へと容易には戻らない。
東京の「EXシアター六本木」で行なわれる師走恒例の「志の輔らくご」は、900人からの客で毎夜埋め尽くされた。5日間の公演チケットは即日完売だった。翌日、志の輔は師匠である立川談志を引き合いに話し始めた。
「高座を終えたばかりの談志の傍で『ハードディスクのフル回転の音が聞こえた』と、昔よく人に話してたんですよ。それがいまではスタッフから私が同じことを言われてるんです(笑い)」
毎夜0時に帰宅しても、寝つくのは3時過ぎ。それほど独演会の負担は大きい。それでいて、翌日の楽屋入りは早い。幕が開く30分前に入ればいいところを2時間近く前にやってくる。
「これだけの大きな劇場となると、1回必ず公演前にステージと客席に身を置いてみないと安心できないですね」
会社員だった志の輔が談志の門を叩いたのは、1983年、28歳と11か月のことだった。その半年後、談志は、落語協会と衝突し、寄席とも決別。「喋る場所はてめえで探してこい」と師匠から命じられた弟子は、スナック、そば屋、果ては船上とあらゆる場所に高座を求め、現在の劇場やホールへと辿り着いた。
◆さらに大きな仕事が加わった