新天皇即位後に行う一代一度の大嘗祭(だいじょうさい)。天皇が新穀を天照大神(あまてらすおおみかみ)や祖先に供え、五穀豊穣と国の平安を願う祭祀だが、大嘗宮の最奥部で何が行われるのかは秘されている。謎の多い祭祀の根源を探っていくと、日本人のアイデンティティの核があると大東文化大学名誉教授の工藤隆氏は指摘する。
* * *
新天皇が即位した後に行われる大嘗祭は不思議な儀式である。
昭和64年(1989年)1月7日に昭和天皇が崩御すると、同日に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、そして御璽(ぎょじ)・国璽(こくじ)が新天皇に渡される「剣璽等承継の儀」が執り行われ、天皇位が継承された。次いで翌平成2年(1990年)11月12日に天皇が皇位についたことを内外に広く知らす「即位の礼」が行われた。この「剣璽等承継の儀」と「即位の礼」によって“法的”“政治的”な手続きは完了している。にもかかわらず、11月22日、23日には大嘗祭が行われた。なぜ行う必要があるのか。そこに大嘗祭の本質が潜んでいる。
◆「同衾説」「性的解放説」
国家祭祀としての大嘗祭は600年代末の天武天皇、持統天皇のときに整備が始まった。それまで伝承されてきた儀式を昇華させ、国家の最重要祭祀に位置づけた。戦乱や天皇家の経済的窮乏によって中断した時期もあったが、現在まで続いている。
祭儀について具体的な記述がある最古のものは『儀式』(別名『貞観儀式』*1)や『延喜式』(*2)だ。それらを紐解くと「造酒児(さかつこ)」と呼ばれる童女が主役の前半と、大嘗祭当日に天皇が主役となる後半との二部構成になっていることがわかる。
【*1 平安時代前期の貞観14年(872)以降に編纂されたとされる宮廷儀式書。】
【*2 延喜5年(905)に醍醐天皇の命で編纂を開始、延長5年(927)に完成。律令の細則がまとめられている。】