数字、つまり客観的データは嘘をつかないはずだが、それを用いて分析する段階になると分析者の主観が混じり、事実とずれてゆくことがある。評論家の呉智英氏が、主観によって数値の意味が変えられてしまっている事例をあげ、その弊害について考えた。果たして暴力団や外国人の犯罪率は、本当に発表されたデータ通りなのか?
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近頃「ファクトチェック」という言葉をよく聞く。「事実の照合」という意味だ。
二月十五日付朝日新聞オピニオン欄のテーマがファクトチェック。論者は「政治家は往々にして数字を操作し、事実をゆがめる」と言う。確かに、日本でも外国でも、そういうことがある。政治家にも報道にも出版にも。
二〇一七年十二月十七日付朝日新聞に「エスカレーター事故を防ぐ」という特集があった。エスカレーター上を歩く人による事故を防ぐ方法として手すり設置をすると「歩行者は、41人から37人と0.8%減った」。
後に訂正記事が出た。「約9.8%の誤り」だった、と。0と9の入力キーを打ちまちがえたのだろう。全体の論旨に影響はなく、これは単なるお笑いネタだ。
少し古いが、岩波書店のPR誌「図書」二〇一〇年十一月号に近世文学研究者の中野三敏の「和本リテラシーの回復を願って」という一文が載った。「変体がなと草書体漢字」による近代以前の和本を読める人の激減を嘆く主旨で、これ自体は共感できる。
では、その和本を読める人が現在どれぐらいいるかというと、「多く見積っても五千人には届くまい。総人口の0.00004%」だ。「我々の中の0.00004%しか〔和本を〕読む能力を持た」ない。というのだが、センセイ、計算がまちがってますよ。これでは、和本を読める人は日本中でわずか五十人である。いくらなんでも少なすぎる。
岩波には校閲者がいないのか。