いつの時代も大人と思春期の少年少女たちの関係は難しいものだが、ネットの普及はさらにその構図を複雑化したかのように映る。だが、若者が大人の言葉に響かないわけではない。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が指摘する。
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「一度でも/ナマで幸せを/体験していれば/コトバの幸せの嘘に/だまされることはない」(谷川俊太郎『幸せについて』)
印象に残る詩の断片です。詩人の谷川俊太郎氏が自分の本の表紙に刻印したフレーズ。ではもし、このテーマがドラマになったら? いったいどんな作品に仕上がるでしょうか。
それが現実になりました。『3年A組-今から皆さんは、人質です-』(日本テレビ系)はスタート当初、純文学の世界に通じるような印象がありました。というのも、単純な犯人捜しのサスペンスドラマとは違う匂いを漂わせていたからです。集団に芽生える悪意、SNSのコトバの闇、人はなぜ他者を排除するのか、といった普遍的本質的なテーマについて深く考えることを促していそうだったから。
ドラマの最後は自己最高視聴率の15.4%を記録。人気の『相棒 season17』(テレビ朝日系)を抜いて今期連ドラ1位の数字に。そして最終回、まさしく谷川俊太郎の詩に響き合うような世界が出現していました。
主人公・柊一颯(菅田将暉)は美術教師。高校の教室で爆発物使い生徒を人質に立て籠もり「最後の授業」を開始、警察相手の攻防戦をSNSで実況中継……と、そこだけ並べれば奇想天外。ドラマだからこそ可能な、言ってみれば荒唐無稽な舞台設定でしょう。
しかし、柊の授業のテーマは奇をてらったものではありませんでした。
「なぜクラスメートの景山澪奈は、自殺しなれけばならなかったのか」。まさに現実社会の中で繰り返される苦しみと闇に向き合う。SNSでのいじめ、根拠なき噂に追い詰められる生徒。自殺の原因を探れば探るほど教室内には張り詰めた空気が漂う。
一番肝心なのは、柊という教師の存在のあり方でした。一つ間違えれば「お説教」に転落してしまう。「先生から教師」への熱き語りは、危険も伴う。
「ナイフを刺せば、血が出る。痛みも伴う。場合によっては、命も奪える。当たり前のことだ。でも今の社会は、こんな当たり前のことに、気がつく暇もないくらいに、せわしなく回り続けてる。相手に何をしたら傷付くのか、何をされたら痛むのか、お前たちには、それに気付かない感情が麻痺した大人には、なってほしくなかった」といった柊のコトバ。
菅田将暉が演じた柊は異様な集中力を保ち鬼気迫る表情で、彼が語るコトバには妙な生々しさ、肌触りがありました。いったいなぜ、柊のコトバはお説教に陥らなかったのでしょう?
「生徒たちを良い方向に変えてやろう」という、教師にありがちな上から目線ではなく、一人の人間として、生徒と同じ位置に立って、命賭けで「このことだけは、どうしても伝えたい」とフラットな姿勢を一貫して崩さなかったから、ではないでしょうか。
道徳的押しつけではなく、人としてどうしても伝えたい──そのスタンスを大切に維持したことが、このドラマの成功ポイントだったと思います。そう、菅田さんは「演技」「役者」といった枠すらはみ出し「伝えよう」とする熱量に満ちていました。