有働由美子アナ、夏目三久アナ、小川彩佳アナと、女子アナが“報道番組の顔”を務めるケースが増えているが、その“原点”は誰かと訊かれれば、多くの人が彼女の名を挙げるだろう。1985年から1998年にかけて『ニュースステーション』(テレビ朝日)を久米宏氏とともに支えた小宮悦子さんは、その後の報道番組における「女性キャスター像」を作り上げたパイオニアである。そんな小宮さんが、ワイドショーのリポーターから報道キャスターになり、そして自身が変わった瞬間を語った。(聞き手/岸川真=作家)
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去年の5月、ギャラクシー賞の授賞式で20年ぶりに久米宏さんと並んで司会を務めさせていただきました。
久米さんの隣にいると互いがシンクロしていくというか、『ニュースステーション』の“呼吸”が甦ってくるんです。久米さんの声が変わらず若々しくて、間の取り方も、全てが懐かしかった。傍らにいて、私にとって久米さんは師であり、『ニュースステーション』は故郷なんだな、と実感したものです。
共に駆け抜けた激動の10数年がまざまざと思い出されて、感慨深いものがありました。
いまだからお話しできますが、私は報道番組のキャスターどころか、アナウンサーを目指してもいなかったんです。もともとは編集者やコピーライターに憧れていました。就活の合間の一日、友人がテレビ朝日を受けるから一緒に行ったんです。そこで何の間違いか採用されちゃって。
1981年に入社して、アナウンサーがどういう仕事かも具体的に理解しないまま、3か月の研修に突入したわけです。サ行の発音が出来ずに注意されると「なんて屈辱!」って心で文句を言ったり(笑い)。