非上場企業のサントリーHDで初の外部出身経営トップとなって4年余り。新浪剛史・社長体制下で、サントリーは米ビーム社との統合など、世界規模の経営戦略に乗り出している。平成という時代を代表する「プロ経営者」とも呼ばれる新浪社長は、老舗企業に飛び込む際に何を考えたのか。そして、新時代に向けてどう動こうとしているのか。(聞き手/河野圭祐=ジャーナリスト)
◆「サムシング・ニュー」の生き方
──2002年には三菱商事からローソン社長へ、そして2014年10月にはサントリーHDの社長へ。そうした華麗なる“転職”は経済ニュースで騒がれました。平成元年(1989年)の頃には、今のキャリアを想像していましたか?
新浪:当時は三菱商事の留学制度で、ハーバード大学経営大学院に通っていましたね。ハーバードでは1989年から2年ほど学びました。留学仲間には樋口泰行さん(パナソニックコネクティッドソリューションズ社長)がいます。
バブル絶頂期に日本にいなかったわけですから、そもそもバブル経済を経験した感覚が希薄なんです。それでも日本企業の勢いは感じました。大手メーカーは米国で現地生産を進め、逆に米国の企業は真摯に日本企業の経営に学んでいた時期でしたね。
ハーバードへ留学しようと思ったのは、私自身が変わっていく必要があると感じたからでした。このままでは会社に左右されるだけの人生になってしまう。
単なる組織人から脱皮するには、私という“商品”の価値を高めていく必要がある。会社の内外で自分の商品価値を認めてもらうのが重要で、そのためにどうすればいいか、いつも考えていました。留学を通じて、グローバルな経営への関心はいっそう強まりました。商社マンとして海外のどこそこに駐在して、出世の階段を上っていこうという発想は当時からありませんでした。