映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、常にスターだった高倉健さんが、その裏側で考え抜いていてこだわりについてお届けする。
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これから数週ほど、すでに亡くなられてしまった、かつての名優たちの演技論について、過去の著作・インタビューなどから掘り下げてみたい。
まず今回は高倉健。彼の場合、あくまでスターとして評価されてきた面が多分にあり、「いつも高倉健として映っている。スターだからそれでいい」というように扱われることが多い。そのため、役者としての技量を語られにくくなりがちだ。
が、本当に「何もしない」のであれば、数々の名作映画であれだけ味のあるたたずまいを見せるのは無理だ。実はその裏側には、考え抜かれたこだわりがあった。
『高倉健インタヴューズ』(小学館文庫)での野地秩嘉のインタビューで、高倉健はこのようなエピソードを披露している。
一九九四年の映画『四十七人の刺客』に主演した時のこと。高倉は市川崑監督に「映画監督にとっていちばん大切なことは何ですか」と質問している。それに対し、市川はこう答えたという。「自分自身が長く見たいシーンをバッサリ切る」「監督は自分が撮ったシーンはどれも大切だから切りたくない。しかし、自分の気に入ったシーンばかりを長々と映したら、観客に自己陶酔を見せつけることになる」
その上で、高倉は自身の演技について次のように語っている。
「映画のセリフは日常に使う言葉とはまったく別のものです。自分が気に入ってしゃべるのでなく、脚本家と監督に言われて演じているだけ。イヤだなと思ってもしゃべらなきゃならない言葉がたくさんあります。また、いいセリフだなと思っても、しゃべる時は注意が要る。市川監督の言葉じゃないですが、観客は自己陶酔なんか見たくないですよ」
「場面がいいからセリフが印象に残る。いいセリフとはいいシーンで使われるものなんじゃないでしょうか」