新元号発表をめぐる菅義偉官房長官と安倍晋三首相の“どちらが目立つか対決”は菅氏の「圧勝」だった。4月1日の発表当日は、最初に菅氏が会見で「令和」の額を掲げ、次に、安倍首相が“オレがやる”と改めて会見を開いて自ら新元号の由来を語るという異例の2段階の発表方法を取った。
しかし、新聞各紙は号外で菅氏の写真を大きく報じ、翌日の朝刊各紙の1面トップも菅氏の写真、主要紙で首相の写真を使ったのは読売新聞だけだ。菅氏を長く取材してきたベテラン記者が語る。
「あんなに滑舌の良い菅さんは見たことがない。テレビ画面からも高揚感が伝わってくるほどだった。やはり本人も知らず知らずのうちに平成の小渕恵三官房長官を意識しているのではないか」
地味な官房長官だった小渕氏は「平成」の元号発表をきっかけに“平成おじさん”と呼ばれて全国区の知名度になり、最後は総理の座を射止めた。
実は、新元号発表までのカウントダウンでも菅氏は昂ぶりを隠せなかった。2日前の3月30日には、統一地方選の応援に地元・神奈川入りした。最初に向かったのは市議選が行なわれている横浜市の南区、菅氏の選挙区である。地元紙記者はこの行動に驚いた。
「菅さんは気配りの人。これまで選挙応援で神奈川入りする場合は、別の選挙区から始めるのが常で、真っ先に自分の選挙区に向かったことはなかった。総理を目指すには自分の選挙に強いことが絶対条件ですから、逸(はや)る心を感じた」