医療が発達し、治療法が普及するにつれ、人は簡単に死ねなくなっている。だが、いつか死ぬのが人間だ。人工透析治療を止める選択肢を提示された女性患者が死亡した問題をきっかけに、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、命の終い方について考えた。
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東京都福生市にある公立福生病院で、人工透析治療を止める選択肢を提示された女性患者(当時44歳)が死亡した問題が波紋を呼んでいる。医療を受ける患者の権利が奪われているとか、医師による死への誘導ではないかと報じられた。
しかも、亡くなった女性が、直前に透析中止の意思をひるがえしたと報じられ、なぜ中止が中止されなかったのか、病院の対応に批判が上がっている。
ぼくがこの問題で、まず考えたのは、「透析治療を受けない権利」ということだ。40年以上、内科医として多くの辛い疾患と接してきたが、患者さんのなかには積極的治療を拒否する人がいた。
たとえば、進行すると自力で呼吸できなくなる難病がある。人工呼吸器をつけることを選択する人が多いが、全員ではない。一生懸命生きるが、その時が来たら人工呼吸器はつけず、死を選択するという人も少数いる。どっちが正解かという問題ではない。医療というより、個人の価値観の問題なのだ。
がんの患者さんでも、手術をすれば寿命が延びる可能性があるのに、手術を拒否する人がいる。信仰上の問題で、死んでも輸血を拒否する人もいる。