【書評】『不忍池ものがたり 江戸から東京へ』/鈴木健一・著/岩波書店/2400円+税
【評者】山内昌之(武蔵野大学特任教授)
「しのばずの池のおもひろくみゆる哉うへのゝ岡に月はのぼりて」
樋口一葉の歌である。不忍池を描いた文学作品は多い。森鴎外の『雁』は医科大学の学生と高利貸の妾を点描しながら、比叡山と琵琶湖に模して造られた東叡山と不忍池の自然風景も浮かび上がらせた。竹生島のように中島にも弁財天が祀られ、京の権威がそのまま江戸に移されたのは、天台宗総本山として寛永寺を創建した僧・天海の深謀であった。本書は、不忍池をめぐる歴史と文学を鈴木氏が活殺自在に描き切った労作である。
不忍とは、「忍びの岡」から出たというのが本居宣長の説である。鎌倉時代に出てくる「しのびの岡」という優雅な地名をわざと否定して池の名前にしたのでは、と鈴木氏は考える。
江戸時代の不忍池は、蓮料理と料理茶屋で知られた名所である。隅田川・浅草寺に匹敵する名所にほかならない。吉原と同列に扱えるかどうかと著者は慎重ながら、江戸中後期には茶屋が男女の逢引に使われ、色めいた盛り場だったことも間違いない。
出合茶屋で男女が逢うのは忍ぶ恋なので、上野忍岡にあるのは当然だという川柳もある。「出合茶屋しのぶが岡はもつともな」はじめ、