ダービーをはじめ7つのGIを勝ったウオッカが、平成最後の月に繋養先のアイルランドで死亡した。彼女に代表されるように、平成は多くの名牝が牡馬に伍して活躍した時代でもあった。競馬歴40年のライター・東田和美氏が、競馬の歴史を彩った牝馬についてお届けする。
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平成16年(2004年)、JRAは創立50周年を記念して52頭の「時代を駆け抜けた名馬たち」をレース名に刻んだが、牝馬はたった2頭。昭和61(1986)年の三冠馬メジロラモーヌと平成9年(1997年)の天皇賞(秋)などを勝ったエアグルーヴだけだった。
いまファン投票などで「平成の名馬たち」を50頭選ぶとすると、10頭を超える牝馬がランクインするだろう。ウオッカとエアグルーヴはもちろん、ブエナビスタ、ジェンティルドンナ、ダイワスカーレット、スイープトウショウなど牡馬を破ってGIタイトルを獲得した馬も数多い。三冠牝馬もスティルインラブ、アパパネ、ジェンティルドンナ、そして、3歳にしてジャパンカップを驚異のレコードで勝つアーモンドアイという怪物も現われた。年度代表馬も牝馬が7回受賞している。
かつてクラシック戦線である程度の結果を出した牝馬は、早めに繁殖に上がるケースが多かったが、平成に入って古馬牝馬の活躍が目立ってきた。3年の安田記念とスプリンターズSを勝ったダイイチルビーをはじめ、ニシノフラワー、シンコウラブリイ、ノースフライトなど、「切れ味」を生かすだけでなく、牡馬に競り勝つ強さも兼ね備えていたが、それでも主戦場はマイルまでだった。
平成8年、新たに3歳馬(当時は4歳)限定のGI秋華賞が新設、これまで3歳馬に限定されていたエリザベス女王杯が古馬にも開放され、牝馬路線の充実も図られるようになった。この年JRA初の女性騎手が3人誕生したのも、この流れと無縁ではないのだろう。