小沢一郎。47歳で自民党幹事長に就任、政治改革を掲げて党を飛び出すと、自民党と対決して細川連立政権、民主党政権と2回の政権交代の立役者となった。これまで決して政治史の舞台裏を語ることがなかった小沢が、平成日本を変えた数々の場面で何が行なわれ、どんな葛藤があったのかを「歴史の証言者」として初めて明らかにした。(文中一部敬称略)
◆「平成」誕生の真実(1989年1月)
〈新元号「令和」の発表と前後して、30年前の「平成」元号決定の過程が明らかにされてきたが、触れられていない秘話がある。有識者会議で3案の中から「平成」が選ばれた──とされるが、実はその前に「結論」は出ていたという。昭和天皇が崩御した1989年1月7日、首相・竹下登、官房長官・小渕恵三とともに官邸に詰めていた官房副長官・小沢一郎は、その経緯を知る唯一の生き証人だ。〉
小沢:僕自身は元号に関心がさほどなかったけれど、(官僚を通じて)最終的に総理のところに上がってきたのは2案でした。「どっちにしましょうか」と。それで、竹下さんと小渕さんと僕の3人で「どうする?」となった。
──3人だけで?
小沢:その段階ではもう役人を入れる必要がなかった。学者の先生が選んで、2案まで絞り込まれていたからね。上がってきた2案は、「平成」と「化成」でした。
──1字目が「平」か、それとも「化」か。
小沢:文化という言葉もあるし、(日本で最初の)大化という元号にも使われているんだから、化という字が悪いわけじゃない。けれども、3人とも「化けるより、平らかになるほうがよかろう」という単純な判断で平成を選びました。