天皇皇后はご成婚60年を迎えた。その長い年月の出発からの道程を、宮中で間近に見ていた人物がいた。昨年5月に94歳で亡くなった元内掌典(ないしょうてん)の高谷朝子氏である。高谷氏の在職は昭和18年から57年間。内掌典は、「宮中三殿」と呼ばれる賢所(かしこどころ)、皇霊殿、神殿の3つの社にお祀りしている神々に仕える女性の内廷職員だ。生前の彼女を数度にわたり取材したジャーナリスト、児玉博氏が、「美智子妃が在位の間は書かないでほしい」との約束のもとに秘めてきたエピソードを、知られざる宮中の様子とともに明かす(文中一部敬称略)。
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昭和34年4月10日は、高谷にとっては終生忘れえぬ一日となった。日本中が沸いた皇太子と美智子妃の世紀の結婚式の当日だった。
「私が生きている間はこのことはお話しになられると困りますので……、美智子様もご在位の時は……」
普段、快活に話していた高谷が目を伏せるようにしてこんな話をしてくれた。
それは婚礼当日のことだった。宮中は華やいだ雰囲気に包まれていた。そんな中、高谷ら内掌典が見たのは、身に付けたことのない婚礼衣装を前に涙さえ浮かべて悄然と立ち尽くしていた美智子妃の姿だった。
本来であれば、皇太子妃には側近くで仕える女官が身の回りの世話をする。その女官が見当たらない。どうやら、誰の指示か分からぬものの、女官らが婚礼の手伝いを放棄してしまっているようだった。
そこで、本来であれば女官がやるべきことをすべて本来は携わることのない内掌典が行ない、美智子妃を婚礼の場に送り出したという。