平成4年(1992年)にドラフト4位でオリックス入団してプロ入り、平成13年からメジャーリーグへ活躍の場を移し、平成31年3月21日に現役引退を表明したイチローは、間違いなく平成を代表するアスリートの一人だろう。元オリックスコーチで二軍コーチ時代に「振り子打法」をイチローとともに考案した河村健一郎氏が、イチローと過ごした当時を振り返った。
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入団間もないイチローが当時の土井正三・一軍監督や山内一弘・一軍打撃コーチらから散々言われたのは、「これでは打てない。ゴロを打つダウンスイングに矯正せよ」でした。打撃を頭から否定されたのです。
確かに当時のイチローは凡フライを繰り返していました。それが周囲にはアッパースイングに映ったようで、だからダウンスイングでゴロを、というわけです。土井監督は「内野ゴロなら捕球と送球の2つの動作になるので、足の速いイチローならセーフになる。しかしフライなら1つの動作で即アウトだ」と言っていました。
でもプロの内野の守備率は9割8分もあるんです。たった2%の確率のために、今まで練習してきたバッティングフォームを変える必要があるのか──それに当時のイチローと私の間では、内野ゴロこそが打ち損じで、逆に凡フライはOKという考え方があったのです。
当時、イチローにはバットの内側に当ててセンターから左方向を意識して打たせていました。理想の打球方向である、ショートの頭を越えるライナーを打つためです。ただ高校を卒業したばかりの彼にはまだ基礎体力がなく、スピードボールには差し込まれて凡フライになっていました。でもライナーと凡フライは紙一重なんですよ。タイミング的には合っているから、筋力・体力がつけば必ずヒットになると信じて練習を重ねました。