自由党の代表・小沢一郎氏。47歳で自民党幹事長に就任、政治改革を掲げて党を飛び出すと、自民党と対決して細川連立政権、民主党政権と2回の政権交代の立役者となった。これまで決して政治史の舞台裏を語ることがなかった小沢が、平成日本を変えた数々の場面で何が行なわれ、どんな葛藤があったのかを「歴史の証言者」として初めて明らかにした。(文中一部敬称略)
◆前代未聞の総理選び(1989年8月)
〈平成元年(1989年)の政界は激動で始まった。6月にリクルート疑獄で竹下内閣が総辞職。急遽後継総理となった宇野宗佑も女性問題と参院選大敗で、わずか2か月にして退陣した。危機的状況に陥る中、誰もがノーマークだった海部俊樹に白羽の矢が立った。〉
小沢:安倍(晋太郎)さん、宮沢(喜一)さん、渡辺みっちゃん(美智雄)、みんなリクルートで総裁になれない。だから、各派閥の事務総長クラスで相談することになった。僕は事務総長ではなかったけれど、梶さん(梶山静六)に『お前も来い』と呼ばれて会議に加わった。
でも、誰が考えても適当な総裁候補がいない。仕方ないから、当選年次の古い人から順番に名前を挙げていきました。最初は海部さんなんて誰も考えていなかったけれど、年次をみるとぴょこっと出ている(当時10回生)。河本派という弱小派閥で、人柄がいいから敵もいない。“よし、これでいこう”となったんです。