●胸突坂/坂下の文京区・関口と坂上の目白台をつなぐように位置する胸突坂は、急勾配な石階段の坂。「江戸時代、水(すい)神社への参拝のために造られた坂です」(山野氏)。「スマートフォンでアプリの古地図を見ると、胸突坂の位置や形は江戸時代と同じですね」(團さん)
●鉄砲坂/首都高速を背に、東京音楽大学目白台学生寮を右手に進むと、鉄砲坂の標識にたどり着く。石塀の間を迂曲して上る急勾配の坂は、文京区の関口と目白台の境に位置する。「学生寮のあたりに江戸時代、鉄砲の射撃練習の的場があったことから、その名が付きました」(山野氏)
●日無(ひなし)坂と富士見坂/文京区と豊島区の境に位置し、狭く急な階段が続く日無坂は長さ160メートルほど。「江戸切絵図にも記されており、樹木が生い茂り、日光が差さない薄暗い道だったことがその名の由来です」(山野氏)。坂上で豊島区の富士見坂と交わり、角に建つ木造住宅と織りなす景観が趣深い。富士見坂は明治以降に開かれた
●新坂/永田町2丁目、都立日比谷高校とメキシコ大使館の間にある新坂は、その名の通り明治以降に造られた。「一気に駆け上がると息が切れる急坂です。朝、学校や官庁に急ぐ人たちが必死に上ったことから、遅刻坂とも呼ばれています。毎日は上りたくない急勾配です(笑い)」(山野氏)。道の両側に続く石垣がこの坂の魅力の一つであり、特に日比谷高校の石垣は苔むして夏には緑が覆う。ゆっくりと歩けば情緒を味わえる散歩道だ
●三べ坂/新坂を上って道なりに行くと、三べ坂の中腹に突き当たる。左折した先に立つ「華族女学校遺蹟碑」のあたりが坂上。中腹から参議院議員会館を眺める下りは、その美しい蛇行が江戸時代の道筋であることを伝えている。「『三べ』って何だと思いますか? 江戸時代、この辺りに和泉岸和田藩主・岡部筑前守、武蔵岡部藩主・安部摂津守、和泉伯太藩主・渡辺丹後守の屋敷があり、3家の氏に『べ』が付いていたことが由来です」(山野氏)
【PROFILE】
◆だん・はるか/1993年生まれ、東京都出身。聖心女子大学卒業。2010年、芸能界デビュー。女優、タレント、レポーターなど幅広い分野で活躍する。朝の情報番組『ZIP!』(日本テレビ系)にレギュラーレポーター(毎週月・火・木)として出演中。高祖父は三井財閥総帥の團琢磨、祖父は作曲家の團伊玖磨、父は東京・日本橋のコレド室町などを手掛けた建築家・團紀彦氏。
◆やまの・まさる/1943年生まれ、広島県出身。坂道研究家、日本坂道学会会長。早稲田大学卒業。出版社社員時代から趣味で坂道研究に打ち込む。現在はNHK文化センター、朝日カルチャーセンターなどの坂道講座で講師を務める。著書に『大江戸坂道探訪』(朝日新聞出版)など。
●撮影/吉場正和 取材・文/上田千春
※週刊ポスト2019年5月3・10日号