つい先日、日本の人口は8年連続で減少しているという発表があったばかりだ。労働力不足の解決が喫緊の課題と言われながら、いったん弱者に転落するとなかなか労働力として復帰しづらい仕組みは改善されないまま。ライターの森鷹久氏が、生活保護受給者から働く社会人として自立する難しさについてレポートする。
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渋谷区内の喫茶店に現れたのは、ブカブカの着慣れないスーツに身を包み、コンビニのレジ袋をぶら下げた・水田伸介さん(27歳・仮名)。27歳にして昨年12月に晴れて社会人デビューしたという男性だが、新卒者のようなキラキラした”フレッシュさ”は感じられない。財布や携帯をビジネスバッグではなく、レジ袋に入れているあたりからも、一般的な社会常識から逸脱した、彼の感覚をうかがわせる。
そのズレた感じの出所をたどろうと彼のこれまでの生活について話を聞くと、昨年の10月までは神奈川県横浜市内の就労支援施設で働きながら、生活保護者向けの寮で生活を送っていたことから話は始まった。
「以前は月に10万円ちょっとの生活保護を受けていました。作業所(支援施設)で働いて、月に数万円…とはいえ五万六万ではありませんが給料も得ていました。寮費は食費込みで月に10万円くらい。食事は質素でしたが毎日出るし、バスも電車も地下鉄も、公営のものならタダで乗れる(※自治体により公共交通機関の無料乗車券が取得できることがある。割引券の場合も)。スマホも持てたし、衣食住に困ることはなかった」(水田さん)
水田さんの半生を振り返ると、それは壮絶としか言いようがなかった。物心がついた時には、関西地方の児童養護施設で生活しており、小学校低学年の時に、神奈川県内の親族の元に移り住んだ。しかし、一年もしないうちに居心地が悪くなると、関西の知人宅に潜り込み、万引きや窃盗などをして飢えをしのいだ。補導や逮捕された経験も数知れず。無理やり親族宅に連れ戻されたが、罵倒され、暴力を受けるようになり、発達障害の診断を受けてからというもの、自身がこの世に生きてはいけないのではないかと思い、自殺未遂を繰り返した。
なんとか18歳までを生き抜くも、親族からもいよいよ見放された。そんな時に助けてくれたのは、かつて生活していた児童養護施設の関係者の女性だ。女性の尽力により、生活保護を受けられるようになった。そして、社会復帰のために就労支援施設に入ったのだった。
施設では丸二年間を過ごした。年齢や境遇、様々な人がいたために友達といえるような人はついぞできなかったが、施設の職員は皆優しく、今でもたまに食事を共にする。こうしてようやく「社会復帰」をした水田さんだったが、いつ「元通りになるかもしれない」と不安な日々を送る。
「確かに形だけは社会復帰なのかもしれません。生活保護も打ち切られ、寮も出ました。しかし、私のような経歴ではまともな職場で、まともに働くことはできません。今は、小さな運送会社で事務の仕事をしていますが、給与は月に10万円行くか行かないか。社会人デビューとは言え、フルタイムで入る仕事ができないからです。