日本で働く外国人労働者は約146万人で、前年同期比で14.2%の増加を記録した(2018年10月厚生労働省発表)。2019年4月1日からは改正入管法が施行され、深刻な人手不足に悩む日本は、5年間で最大34.5万人の外国人を受け入れるという。日常を振り返ると、今ではコンビニエンスストアで外国人店員と応対するのは普通になり、看護や介護の現場でも多くの外国人が活躍している。「日本で働く外国人」の今を追うライターの服部直美氏が、看護師のモハマド・ユスプさんが杉並区の河北総合病院で働きながら日本滞在10年になった背景についてレポートする。
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2008年、28歳でEPA(経済連携協定)に基づく第一陣インドネシア看護師候補者として来日した時は「ありがとう」しか日本語が話せなかったという看護師のモハマド・ユスプさん。その後、4回目の挑戦で日本の看護師国家試験に合格し、現在も東京の河北総合病院・整形外科で看護師として毎日忙しく働いている。
「最初は3年だけと思って……10年も日本に住むと思ってなかったです。国家試験4回目の時は死ぬほど勉強しました。仕事終わってから、お祈りとお風呂と料理以外は全部勉強、どこにも出かけない、ひきこもりみたいだったね」
インドネシアで看護学校の教師だったとき、EPAの募集を知ったユスプさんは海外で働いてみたいという好奇心と、幼い頃から日本が大好きだったこともあり、応募を決意。妻子を残し単身来日する。半年間、研修センターで勉強し、日本語もかなり話せるようになったと自信を持っていた。看護助手として働きながら国家試験合格を目指す生活が始まったが、すぐに合格して、海外で働く看護師になれると思っていた。
ところが病院で実際に看護助手として働き始めると、教科書で勉強した日本語を普段話す人は少なく、早口で何を言っているのか全然分からない。看護師試験どころではなかった。
「薬の名前もカタカナは英語からが多い、でも日本人の発音は知っている英語の発音と違うので混乱した」
日本では高等専門教育であっても、外国語はすべてカタカナに変換し日本語らしい発音に変えられる。元の英語で同じ物事を覚えた事があっても、まったく新しい単語として記憶し直さなければならない。そして、インドネシアと日本では看護師の仕事内容も違い、更に困惑する。
「インドネシアでは家族が介護の面倒をみるから、ナースコールも1日3~4回だけ、でも日本は付添人なしで看護師が身の回りの雑事にも応えるため、コールは数えきれない。看護の仕事だけど介護の部分も多い。たとえ国家試験に合格しても、日本で看護師になるのは絶対無理だと思った」
ちょっと気弱になるときもあったけれど、国家試験合格のために通勤中はヘッドフォンで日本語を繰り返し聞き、仕事中も患者さんの言葉が理解できないときは、同僚の看護師に助けてもらった。辞書を持ち歩き、家中のあちこちに日本語を貼り、血圧、脈拍、配膳など、病院では必ず必要となる難しい漢字も必死で覚えていく。挫けそうになった時、参加した勉強会で同じインドネシア大学卒業生の仲間が、自分の知らない漢字をたくさん習得していたことも刺激となった。国家試験の過去問を何度も解き、出題パターンが分かるようになるほど、まさに寝る間も惜しんで勉強を続けた。