実際のところ、東池袋のほうが逮捕されなかったのは、運転手が87歳と高齢かつ事故で怪我を負って入院したからであり、「さん」づけだったのは容疑者でもない(逮捕されていない)個人名に関してはそのように表記するというマスコミルールが存在するからである。だが、そういうことを客観的に説明する記事などが出回っても、聞く耳を持たない人々が大勢いて、ただひたすらに「上級国民」の言葉が独り歩きしていった。
これから東池袋の事故の捜査が進み、運転者が任意出頭し、書類送検となり、犯罪者として処罰される可能性は大いにあるだろう。ただ、そうなったとしても、「上級国民だから逮捕されなかったんだ」「二人も殺しておきながら罪が軽いのは上級国民だからだ」などの「疑惑」がつきまとうと思う。そう思わせるくらい、この言葉を使う人々の世の中に対する不信感や絶望は深い。
「ニコニコ大百科」によると、「上級国民」は、〈一般国民と対をなす、日本国民の身分を表す概念のひとつである〉とのことだ。2015年に起きた東京オリンピックエンブレム騒動で、盗用が疑われたデザインの説明に際して、エンブレム応募作品の審査員長が「専門家の間では十分分り合えるんだけれども、一般国民にはわかりにくい、残念ながらわかりにくいですね」と発言、その「一般国民」という表現が上から目線だと批判され、対比する言葉として「上級国民」がネット上で広まった。今回の事故にあたって誰がその「上級国民」なるネットスラングを掘り起こしたのかはわからないが、ここまで拡散するとは思いもよらなかっただろう。
もしこの「上級国民」が、「エリート」や「セレブ」だったら、さほどに広まったとはイメージしにくい。「エリート」「セレブ」には、勉強なり、仕事なりで努力した結果、手にいれた地位といった語感がある。「庶民」や「一般人」でも、努力の上にラッキーが重なればそうなれる可能性が僅かながら残っている。
対して、「上級国民」は手の届かない存在だ。他の言葉では「上流階級」や「特権階級」に近いが、「階級」もまた努力や運によって上に行くことが不可能ではないことを考えると、「上級国民」という言葉はより固定的で、生まれ育ちで決定されている感がある。「上流国民」「一般国民」「下流国民」などの階級がガッツリ固まっている身分制度がこの世にあるかのごとき印象を抱かせる。
関係するツイートでこんなものもあった。
〈上級国民というワードがいよいよネタや冗談じゃなくなるんだろうな(今まで表に顕現してなかっただけだろうけどw) 文面上では皆平等も現実社会は階級社会に最適化されてゆくのだろう〉
「上級国民」が大拡散したのは、このツイートが指摘するような社会変化が背景にあるように思われる。時代でいうと、小泉政権の頃からだろうか。非正規労働者が急激に増え始め、正規社員との間に越えられない壁が立ちはだかり、戦後最長の好景気だなんだと言っても、それこそ一般国民の収入は増えることなく、人によってはじりじり下がり、なのに福祉や社会保障制度が充実するでもない。教育に関しては、お金持ちの家の子ほどいい学校いい大学に入ることができる教育格差の固定化が進んでいる。