父の急死によって認知症の母(84才)を支える立場となった『女性セブン』のN記者(55才)が、介護の日々を綴る。
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母は認知症が少し進んでから今の街に引っ越したせいか、まったく道が覚えられない。家から駅までの一本道も、歩くたび「初めて来た」と言う。でもその途中に一か所だけ、母の記憶に深く刻まれた場所があり、必ず立ち止まるのだ。
母の住むサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)から最寄りの駅まではほぼ一本道。電車で都心に出かけるときも駅前のかかりつけ医に行くときも、いつも同じ道を歩く。
駅までゆっくり歩いて15分くらい。5年前に転居した当初は母の物盗られ妄想や暴言がまだひどく、通院でこの道を歩くときもお互い無口で、やたらに遠い気がしたものだ。
でも実はとてもよい散歩道なのだ。横断歩道を渡ると中学校。桜の古木と美しい花壇、その向こうに校庭を走り回る元気な子供たちの声が響く。
その先には、ウインドーにおいしそうな総菜を並べるカフェや「まながつおの季節到来!」などと貼り紙が目を楽しませる居酒屋が軒を連ねる。朝は近隣の保育園の園児の行列が横切ったりもする。
さらに行くとお巡りさんが立つ交番。自治体が行っている高齢者見守り施策で、母の登録を届け出たのもこの交番だから、親しみがある。
そしてその先にはにぎやかな駅前商店街。スーパー、飲食店、銀行、区民会館もあり、あらゆる年代の人が行き交う。
車も通るし、人をよけながら歩く箇所も多いが、もともと賑やかな東京の下町に育った母には、この喧噪が心地よいのだろう。
「ブラウスが50円だって! 買いたくなっちゃう」などと、商店街の古着店に吸い寄せられたりしながら、母は次第に生活者らしい元気を取り戻していった気がする。今は妄想や暴言もすっかり落ち着いた。
とはいえ「やっぱり認知症が進んではいるなあ」と思うこともある。歩くたびにいろいろな発見をし、その時々を楽しんでいるように見えるが、記憶に残らないらしい。
毎回、「賑やかでいい街ね。でもここ、初めて来た?」と必ず聞くのだ。
私は5年来、母とこの道を歩いて風景が心に刻まれ、自分の中の“お気に入り”になっている。季節の花が咲き、いつもの総菜が今日もウインドーにあるとホッとする。そんなささやかな喜びが母にはないのだと、改めて気づく。
◆暗闇に一光の道標なのか? 母の心に刻まれた店を発見
そんな母の頭の中で、なぜか記憶に引っ掛かって留まっている場所がある。