暴対法が施行されて以降、ヤクザと親密にみえる写真が発覚したら大問題となる現在だが、それでも政治家はヤクザとの関わりを斬り捨てられない。ノンフィクション作家の溝口敦氏とフリーライターの鈴木智彦氏が、なぜ政治家はヤクザとの関わりを絶てないのかについて語り合った。(文中一部敬称略)
鈴木:2006年に勃発して14人の死者が出た九州誠道会と道仁会の抗争(*)の時に、抗争で死んだ組員の葬式に行ったら、普通に地元議員の献花があり、後に地元のメディアが問題視しました。しかし、それまでは特別おかしいことではなかった。西日本の場合、暴力団から市議になったなんて例もありましたもんね。
【*2006年、九州の暴力団・道仁会の跡目争いから九州誠道会が分裂。翌年には道仁会の会長が九州誠道会幹部によって射殺され、一般人を含む14人の死者を出す激しい抗争となった。2013年に終結、九州誠道会は解散し浪川睦会が後継組織となった】
溝口:古くは高知にいた中井啓一が、中井組を率いて現役組長でありながら1957年に高知市議会選挙に当選して市議会議員になっている。その後に田岡一雄・三代目山口組組長から盃をもらっています(1961年に2期目で落選)。長崎にもヤクザ出身の県会議員がいました。
鈴木:三代目山口組組長代行補佐まで務めた加茂田重政・加茂田組組長が、1980年頃に本気で参院選出馬を目指したこともありました。
溝口:政治団体まで立ち上げてね。田岡三代目の時代に、「我々も政治に影響を及ばさなければならない」という話が執行部で持ち上がり、それに影響された面もある。
鈴木:田岡三代目は、「ヤクザも正業を持て」と言った。つまりちゃんとした仕事ということ。それで政治家を正業にしようとしたが、結局、あきらめたようです。