伝統的な「おすべらかし」に髪を結いあげ、五衣の上に小袿という装束姿の新皇后陛下が、宮中三殿に向かってゆっくりと歩みを進められる。
5月8日、天皇皇后両陛下は、即位後初めての宮中祭祀で宮中三殿を参拝された。雅子さま(55才)が三殿すべてに参拝されるのは、病気療養に入る前の2002年以来、およそ17年ぶりのことだ。
ご成婚時から雅子さまを追いかけている主婦の吉田比佐さん(57才)は、今回の御代がわりで拝見した雅子さまの表情に感銘を受けたという。
「即位後朝見の儀(5月1日)の後、東宮御所の正門から出て行かれる雅子さまの穏やかな顔を拝見して、26年前のご成婚パレードでの笑顔を思い出しました。すっかりお元気になられたことが本当にうれしくて、心から感動しました」(吉田さん)
新時代の幕が開け、新しい皇后となられた雅子さまが、かつての輝きを取り戻されたことに日本中が安堵して、改めて魅せられている。
誰もがうらやむエリート街道を歩まれてきた雅子さまだが、皇太子妃となってからは苦難も続いた。その半生を丹念に振り返ると、私たちが知らなかったお人柄と、魅力の秘密が見えてくる──。
◆ハードワーカーでタフネス お人柄を表す呼び名
雅子さまは1963年12月9日、小和田恆(ひさし)・優美子夫妻の長女として、虎の門病院(東京・港区)で誕生された。
外交官だった父の恆さんがソ連(当時)の日本大使館に勤務することになり、1才8か月からモスクワで暮らした。ご両親から「マーちゃん」の愛称で愛された雅子さまは、2才の夏から当地の公立保育園に通い、すぐにロシア語の歌を覚えられたそうだ。
1968年、一家は米・ニューヨークに転居。当時、雅子さまのお好きな本は『フランダースの犬』で、少年ネロと犬のパトラッシュが昇天するクライマックスで涙ぐんだ。
一方で幼い双子の妹たちが泣き出すと、「マーちゃんがついているから泣かなくていいのよ。大丈夫よ」と胸をトントンしてあやす、心優しいお姉さんだった。
1971年3月に帰国後、公立小学校を経て、優美子さんの母校である田園調布雙葉小学校の3年生に編入学して、生物部に所属した。
進学した田園調布雙葉中学校でのニックネームは「オワ」。クラスでは先生たちの顔マネをしたり、絶妙なあだ名をつけて他の生徒を笑わせるお茶目な少女だった。
中学時代のオワが熱中したのはソフトボールだ。
「雅子さまは当時、読売ジャイアンツの高田繁選手の大ファンで、よくジャイアンツの多摩川グラウンドで練習を見学していました。野球好きの友人と一緒に学校にかけあって、中2の時にソフトボール部を創部し、練習中はチームのムードメーカーとして『みんな、声出していこう!』とハッパをかけて、試合では4番サードとして活躍。この頃の雅子さまは日焼けで真っ黒になり、男の子と見間違えるほどたくましかったそうです」(皇室ジャーナリスト)
成績抜群で明るく、運動もできて面白い──中学時代の雅子さまがクラスの人気者となるのは自然なことだった。