そのためには、どこまでも、どんなことをしても自分を正当化し、任期を全うしなければならないと考えているように見える。問題発覚からの流れを見る限り、彼の「生き残り戦略」の戦術は、「論点のすり替え」と聴衆の「コントロール」。武器はツイッターだ。
東大経済学部卒、経産省入省の元キャリア官僚から議員になっただけあり、ツイッターでも会見でも、言葉を巧みに操り、滔々と自己主張を続ける。まず、自らを公平無私に見せるため、明らかに自分が間違っていたとアピールするため、発言を撤回し謝罪。一方、辞職勧告決議案に対しては、言論の自由を奪う理不尽な行為と反論し、論争の枠組み作りをする。ここで論点は、彼の戦争発言から、言論の自由へとすり替わっている。
すり替えた論点をコントロールするため、ツイッターを更新。言論の自由という文言を自分の有利なように使い、この文言を逆手にとって自分の立場を善とみなし、それを脅かす議員らを悪として非難する。そして、悪のやることを「憲政史上例を見ない」「言論府が自らの首を絞める」と糾弾し、この問題の方が自分の発言以上にゆゆしき問題だと訴えかける。ついでに、駐日ロシア大使に謝罪した維新幹部を批判し、「私が辞めることで前例を作ってしまいかねない」と論点のすり替えを強化する。
論点を変えてしまえば、怒りや憤りといった感情を出しやすくなるし、「常にその任期を全力でやってきた」と自分の正当性をアピールしやすくなる。自身の戦争発言についても、「賛否を聞くという形での発言」「謝罪すべきはあの場での不適切さ」「全くもって、憲法の理念を逸脱しているとは考えてない」と記者らに語ったように、なんだかどさくさにまぎれて正当化してしまっているようなのだ。これも戦略なんだろう。
自民・公明の与党は、辞職勧告決議案には同調せず、けん責決議案を提出した。丸山氏の戦いは、果たしていつ、どんな終結を迎えるのだろうか。