街で見掛ける外国人の数は増えた。観光立国というスローガンはそれなりに実を結んでいるように思える。これでいいのか。コラムニストのオバタカズユキ氏がそこはかとない「違和感」について考えた。
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次の時代の日本の有力産業として観光業があげられている。実際、訪日観光客数は2012年から増加が続いていて、2015年にはインバウンド(海外から国内へ)がアウトバウンド(国内から海外へ)を逆転。最新統計の2018年には、3100万人超の外国人観光客が訪れている。
これからもまだまだ進むであろう、観光地化する日本。自分の国に世界中から人が集まってくることは、それだけ文化なり社会なりにいい意味で興味を持たれているからで、喜ばしい話である。だが、その一方で喜んでばかりいられない側面もあるのでは、と思っている。
筆者の地元である「谷根千(谷中・根津・千駄木)」と呼ばれる東京のエリアも観光化が進み、町歩きを楽しむ外国人の姿も年々増えている。それはそれで結構なことなのだが、このところ、いささか気になる光景を目にしている。
数年前、町内にオーストラリア資本のカフェがオープンした。元倉庫を改造、天井の高い店内はウッディな調度品で演出、散策途中のおしゃれな休憩所としてなかなかの賑わいを見せている。ただ、このお店で食事をとると結構なお値段になる。特にランチ。ワンプレートの上に自然食っぽい料理がちょこちょこ盛りつけられたものに好みのドリンクをつけたら、それだけで2000円前後になってしまう。
味はいいのだが、ちょこちょこ盛りつけだから、たいした満足感も得られない。観光地値段だとしても高すぎるよなあ、と初めて訪れた時、けっこう驚いた。店内の他の日本人客らもランチをつつきながら、会話が止まったりしている。おそらく私と同じように、「え?あの値段でこの内容……」と戸惑っていたのだと思う。
ところが、だ。この店には外国人観光客、特に白人のお客さんが多いのだが、彼らは見るからにリラックスしている。メニューを見つめることもなく、思い思いに料理やドリンクやデザートをオーダーし、ゆったりと椅子に腰かけて談笑などしている。
この違いは何なんだ。たまたまそういうシチュエーションの時に入店してしまったからかと、その後も何度か再訪した。が、いつも日本人客は縮こまっていて、外国人客がのびのびリラックスだ。その空間に居ると微妙な気持ちになる。自分の町に居ながらにして欧米の観光地気分を味わえるというか、不意打ちで白人コンプレックスを感じることができるというか、とにかく独特な店なのだ。
どうしてあの店で外国人客らはリラックスしているのか。理由は、思いつく限りひとつである。彼らにとって、別にお高い店ではないからだ。海外旅行好きならおわかりのように、欧米でもオーストラリアでも、ランチで2000円前後はごく普通。1000円以下、場合によってはワンコインでランチが食べられる日本のほうが特殊であり、外食における金銭感覚が我々とは違うのだ。