中国・北京で軍の弾圧によって300人以上の学生・市民が命を落とした天安門事件から、6月4日でちょうど30周年となる。筆者(ジャーナリスト・相馬勝)は、当時の民主化運動の指導者だった陳振亜氏から貴重な証言を引き出した。
「本当に悔やまれる。あのとき、我々がゼネスト(一斉ストライキ)を決行すれば、中国共産党の一党独裁体制に風穴を開けることができたはずだ。天安門事件の悲劇も、もしかしたら起こっていなかったかもしれない」(陳氏)
天安門事件当時、陳氏は中国最大規模の国有企業であり、労働者22万人を抱える首都鋼鉄公司に勤めていた。陳氏は1989年4月に起こった北京の学生による大規模デモなどの民主化運動に共感し、自らも天安門広場に日参するようになる。そこで出会ったのが、学生運動指導者の李進進氏だった。李氏は当時、北京大学博士課程に在籍し、北京大学大学院生会会長でもあった。
「私は天安門広場で運動の指揮をとる李氏に、当時のポーランドの労働運動の最高指導者で、のちに大統領に就任するレフ・ワレサ氏が結成した自主労組『連帯』のような、労働者だけの純粋な労組を創設できないかと提案した。
中国の労組は共産党の管理下にあり、党の指示に服従する“御用組合”でしかない。もし北京にいる数百万の労働者が参加する自主労組ができれば、共産党にとって桁外れの大きな脅威になる。これまでないがしろにされてきた労働者の権利を認めさせることに繋がるかもしれないと考えたのです」(陳氏)
5月1日のメーデーを機に、労働者たちは積極的に学生たちの民主化運動を支援するようになる。以降は積極的に学生支援を表明し、同時に中国初の自主労組結成の準備も進んでいった。