5月の米トランプ大統領来日時には、通訳なしで英語で夫妻と会話をされた皇后・雅子さま。その姿は世界中にインパクトを与えた。雅子さまの類いまれなる能力は多くの海外経験で培われてきた。
日本で生まれた雅子さまは外交官だった父の仕事の都合で、1才8か月からソ連(当時)で過ごされた。4才の頃に米ニューヨークへ移り、7才の時に帰国。小学3年生から編入された田園調布雙葉小学校では、同級生に絶妙なあだ名をつけたり、顔真似をして笑わせたりと、お茶目な少女だったという。
中学生時代はソフトボールに熱中された。
「もともと田園調布雙葉中学校にはソフトボール部はありませんでした。しかし、野球好きの雅子さまはご友人と一緒に学校に掛け合い、先生にも直談判。それにより、雙葉中にはソフトボール部が新設され、雅子さまは4番・サードのスラッガーとして活躍されました」(皇室記者)
高校へ進学後は、再び父親の仕事の都合で米マサチューセッツ州へと移住。現地の高校へ編入すると、勉強への熱がいっそう高まったそうだ。
「その熱心さからクラスメートからは『ハードワーカー・マサコ』と呼ばれるほどでした。もともと堪能だった英語はさらに上達し、地元紙が掲載する『成績優秀者』欄の常連になったそうです。その一方で、高校時代でも勉強とソフトボールを両立され、大活躍されたそうです」(前出・皇室記者)
大学は名門ハーバード大学経済学部に進まれ、在学中に執筆した論文は優等賞を受賞した。卒業後に帰国し、学士入学した東京大学法学部在学中に外交官試験に合格し、外務省経済局に配属された。
「雅子さまは、1週間の残業時間が50時間を超えることがあっても仕事の手を抜くことはなく、周囲では雅子さまは“スタミナは底知れない”と評判になるほどでした。それでも、輝かしい経歴を誇示されることはいっさいなく、『午前2時に帰宅したら“今日は早いね”と母に笑われました』とユーモア交じりに語られたそうです」(前出・皇室記者)
そうした生活に別れを告げ、皇室に入られてから26年。両陛下に接したトランプ氏は、こう感想を漏らしたという。
「リーダーとして素晴らしいだけでなく、カップルとしても素晴らしいと感じました」
厳密に言えば、天皇は憲法上、「指導者(リーダー)」ではなく、「国民の象徴」である。しかし、米大統領にそう思わせるほどのリーダーの資質と人間性が溢れていたということなのだろう。
※女性セブン2019年6月20日号