【書評】『美と破壊の女優 京マチ子』/北村匡平・著/筑摩書房/1600円+税
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授)
京マチ子が、つい先日亡くなったことは、ひろく報道された。彼女の主演映画が、戦後の日本映画に国際的な栄光をもたらしたことも、ふりかえられている。たとえば、『羅生門』や『地獄門』が、ベネチアやカンヌの映画祭で頂点をきわめた、と。そう、彼女は世界にその名を知られた、いわゆるグランプリ女優であった。
しかし、一九五〇年代のそんな作品群は、彼女の演技に分裂をもたらしている。京マチ子をとりあげ、この本で一冊の女優論にまとめあげた著者は、そう書ききった。まるで、没後の定型的な弔辞へ、あらかじめ釘をさしておこうとするかのように。
戦後、一九四〇年代に、彼女は肉体を売り物として、頭角をあらわした。均整のとれた肢体、とりわけ脚の魅力で世にでた女優だったのである。『痴人の愛』や『浅草の肌』、さらに『牝犬』などといった作品で。そして、彼女は肉体美のみならず、画面いっぱいに大きくうごく演技でも、観客を魅了した。
いかにも戦後的な肉体派女優だが、役者としての資質も高く買われていたのだろう。彼女は、所作の少ない能面めいた顔立ちの女を演じる仕事にも、抜擢された。そして、その世界的な成功は、似たようなキャスティングを、彼女へもたらすことになる。欧米のエキゾチシズムによりそう、伝統的な日本美のにない手という役柄を。