妻・沙知代さん(享年85)と死別した時のこと、その後のこと、昔のことを新刊『ありがとうを言えなくて』(講談社)に綴った野村克也さん(83才)。この日の取材は、「泣けないんだよなぁ」と言うノムさんのボヤキ節から始まった。あけすけで、辛辣で、なのに妻への愛情がたっぷりと詰まった名将からの“返球”をとくとお聞きあれ──。
大きな人。野村克也さんとテーブルをはさんで座ってすぐ、そう思った。そして眼鏡越しにのぞき込むように私をとらえる視線の強さは、83才の人のものではない。
「おふくろが亡くなった時は、葬式でおんおんと声を上げて泣いたのになぁ。俺? めちゃめちゃ涙もろい。泣きべそかきですよ。3才の時に戦死した父親を知らずに育ったから、男は泣かないという考えがないんだ。
毎日、寂しいといえば、寂しい。大きな家に帰って『お帰り』と言ってくれる人がいないとね、何とも言えない気持ちになる。それでも涙は出てこないんだよなぁ。
何せ、たった5分間の出来事だったからね。ダイニングで朝ご飯を食べ終わって、いつもいる応接室でテレビを見ていたら、お手伝いさんが『奥さまの様子がおかしいです』と言いに来た。
それでダイニングに戻ってみると、沙知代さんがテーブルに突っ伏していた。あわてて背中をさすって、『どうした!?』と聞いたら『大丈夫よ』とちょっと弱々しい声で言って、それが最期の言葉。
救急車を呼んで、すぐに来て、担架に乗せようとした時は息がなかった。人間なんて、死ぬ時はあっけないもんだね…」(野村さん、以下「」内同)
野村さんは、まさか妻が先に逝くとは夢にも思わなかった、と言うが私たちもそう。意気軒昂な沙知代さんがあっという間に亡くなってしまうとは思っていなかった。華やかな服を着て、言いたい放題だった頃の印象はそう簡単に消えるものではない。
「前の日も行きつけのホテルで一緒に夕飯を食べていたし、死ぬなんて様子はまったくない。ピンピンしていましたよ。足腰が弱っていたこともなかった」
◆「世界広しといえども、サッチーさんと夫婦やっていられるのは俺だけしかいない」
実は、私は一度、生前の沙知代さんと、野村さんを見かけたことがある。10年以上前、都心の大型書店でのサイン会で、書店員と打ち合わせをしているところを見かけたのだ。華やかさはテレビのままだけど、受け答えは仕事ができるビジネスウーマン。テレビとはずいぶん違って見えた。