2018年11月28日、多系統萎縮症という神経の難病を患っていた小島ミナさんが、安楽死を遂げた。51才だった。正確には「自殺ほう助」と呼ぶ。劇薬の入った点滴のストッパーを、医師や家族に見守られながら自ら開く。すると間もなく息絶える。もちろん日本では許された行為ではない。だから彼女は、唯一外国人の安楽死が許されるスイスに行った。
日本人としては初めて公になる安楽死事案である。ジャーナリストの宮下洋一氏はこのたび、その過程を記録したノンフィクション『安楽死を遂げた日本人』(小学館)を上梓した。同氏が取材に協力した『NHKスペシャル』(6月2日放送)も大きな反響を呼んだ。
小島さんの姉たちは、新潟にある長姉・恵子さん宅で『NHKスペシャル』を視聴したという。次姉の貞子さんは今、こう振り返る。
「私たち姉妹は仲がよく、笑いが絶えませんでした。病気になってからの妹を見ていて切なく、とても『頑張れ』とは言えなかった。私たちができることは、普段通りに妹を楽しませて笑ってもらうことでした。これでいいんだ、これでいいんだ、と。そうしないと私たちの感情も爆発してしまいそうだったんです」
貞子さんは、複雑な心境を明かした。一方で、番組を見て、改めて確信することもあった。
「ミナちゃんは自らの人生の幕引きを、自分で決めました。妹の強い勇気を誇りに思っています。最期は、本当によかったね、と思う。そういうふうに思わないと、これから私たちは生きていくわけだから。ひとりでミナちゃんのことを思い出した時には、ミナちゃんよかったね、と彼女に問いかけています」
番組放送後、彼女の選択への共感が広がる一方で、一部では安楽死の道を拓いたことに対する懸念も見られる。寝たきり状態の患者に、重圧を強いることになる、と強い警鐘を鳴らす医療関係者もいる。
ただし、小島さんも、安楽死が必ずしも正解とは考えていなかった。68日間に及んだ本誌・女性セブンの取材中、彼女はこう念を押していた。
「同じ難病を持つ人々に自らの考えを押しつけたいとは思わない。ほかの患者の希望を奪わないように、そこだけは配慮をお願いします」
不治の難病を患う、もしくは余命宣告された際に、安楽死という選択を取るかどうか。そんな究極の問いを、彼女は提示したかったわけではないだろう。彼女は常々、こう語っていた。
「自らの死を考えることは、どう生きるかを考えるのと同じくらい大切なこと」
宮下氏は話す。